地獄池のある谷間を隈なく探さしたが、二人の者も見当らないと云って帰って来た。それでは何かまちがいがあったかも知れないと云って、亡者になる人達を置いてある家へ人をやって、亡者になった女を呼ばしたが、その女も家を出たきりで帰らないと云った。いよいよまちがいが出来たに相違ないので、今度は主翁も出て六七人で手を分って谷から谷にかけて探した。
 夕方になってその中の一人は、亡者の女の着ていた白衣を拾って来た。その白衣は隣村へ出る谷間の小路の縁に落ちていたのであった。
 主翁はもしやと思うことがあったので隣村へ往って探ってみた。村の四辻の榎の下で茶を売っていた老婆が云った。
「今朝、私が起きたところで、壮い男と女が、この前を通って往きましたよ」
 主翁は五十両の大金を客に盗まれたように思った。彼は家に帰って客の手荷物を更《あらた》めた。風呂敷包の中には一枚の着がえがあり、床の上には汗まみれになった道中着と脚絆、股引、それから江戸下谷長者町小八という菅笠があった。
 客は江戸の下谷長者町の小八と云う者であるらしい。主翁は急に旅装束をして江戸に向けて出発した。

       四

 夕方、下谷の小八の家では五六人の者が集まって来て酒を飲んでいた。小八の傍には壮《わか》い※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]《きれい》な女が笑い顔をして坐っていた。
 小八はその前日帰ったところであった。立山へまで死んだ女房の姿を見に往っていた者が、他の※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]な女を伴れて来たので長屋中の者はみな眼を円くして驚いた。それが仲間の者にも知れたので好奇《ものずき》な者が集まって来たところであった。
 小八はまた立山の一件を話して、
「この幽霊が山の上をひらひらと往くじゃねえか」と、云ってきまり悪そうにする女の顔を見て笑った。
「御免よ」と云って庭からぬっと顔をだした者があった。肩に両掛の手荷物を置いた旅人であった。それは亡者宿の主翁であった。小八は一目見て主翁が女のことでかけあいに来たなと思った。小八は一寸困ったがそれと共に金を詐取せられた怒が出て来た。
「手前は亡者宿の主翁だな」
「そうだよ」
「なにしに来やがった」
「其処にいる女を伴れに来たのだ」と、主翁は嘲笑って云った。
 それを聞くと仲間の者が惣立になった。主翁は声を立てる間もなく八方から滅茶滅茶に撲られて
前へ 次へ
全9ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング