》という悪党ですよ、朱孝廉《しゅこうれん》の知ったことではありません、ただ朱孝廉の妻が美しくないから、陸判官が私の頭と取っかえたまでです、それに私は体は死にましても、頭が生きておりますから、どうか朱孝廉を仇にしないようにしてください」
と言った。夢が醒めて呉侍御がそれを夫人に話すと、夫人もやはりそれと同じ夢を見ていた。そこで呉侍御は女を殺した悪人のことを官に告げた。官で人をやって詮議をさすと果して揚大年という者がいたので、捕えて枷《かせ》を入れて詮議をしてみると罪状を白状した。呉侍御はそこで更《あらた》めて朱の家へ往って、夫人に逢わしてくれと言って朱の細君に逢ったが、そんなことから朱を自分の婿とした。そして朱の細君の頭を女の死骸に合わせて葬った。
朱は後に三たび礼※[#「門<韋」、第4水準2−91−59]《れいい》に応じたが、試験場の規則に合わなかったので試験を受けることができなかった。礼※[#「門<韋」、第4水準2−91−59]とは礼部の試のことで、各省の挙人、即ち郷試の及第者を京師《けいし》に集めて挙行するいわゆる科挙のことであるが、それは礼部で掌っているから礼※[#「門<韋」、第4水準2−91−59]というのであった。朱はそこで官吏になる心がなくなってしまった。
それから三十年の歳月が経った。ある夜陸が来て、
「君の寿命ももう永くないよ」
と言った。そこで朱がその期間を問うた。
「いつ死ぬだろう」
「もう五日しかないよ」
それには朱も驚いた。
「救うてくれるわけにはいかないかね」
陸は言った。
「それは天の命ずるところだから、人間はどうすることもできないよ、それに達人から見ると、生死は一つじゃないか、生を楽しいとすることもなければ、死を悲しいとすることもない」
朱はなるほどとさとった。そこで葬儀の用意をして、それが終ったので盛装して死んで往った。翌日細君が柩《ひつぎ》にとりすがって泣いていると、朱が冉々《ぜんぜん》として外から入って来た。細君は懼れた。朱は言った。
「わしは、あの世の人であるが、生きていた時とすこしもかわらない、寡婦になったお前と小児《こども》のことを思うとなつかしくてたまらないからやってきたのだ」
細君はそれを聞くと一層悲しくなって慟哭した。その涙が胸まで流れた。朱は依々として慰めた。
細君が言った。
「昔から還魂ということがあります、あなたには霊があるじゃありませんか、なぜそれを用いてくださいません」
朱は言った。
「天[#「天」は底本では「朱」]の命数に違うことはできないよ」
「では、あなたは、冥途で何をしております」
「陸判官が推薦して、裁判の事務を監督する役にして、官爵を授けてくれたから、すこしも苦しいことはないよ」
そこで細君がまた何か言おうとすると、朱が止めて、
「陸公がいっしょに来てるから、酒肴の準備《したく》をしてくれ」
と言って出て往った。細君がその言葉に従って酒肴の用意をして出すと、室の中で笑ったり飲んだりして、その豪気と高声は生前とすこしも違わなかった。そして夜半に往って窺いてみると※[#「空」の「工」に代えて「目」、第3水準1−89−50]然《ようぜん》としていなかった。
それから三日おきぐらいに来て、時おりは泊って細君と話して往った。家の中のことはそれぞれ処理した。子の緯《い》はその時五歳であったが、くると手を引いたり抱いたりして可愛がった。緯が七八歳になった時には、燈下で読書を教えた。緯もまた聡明であった。九歳で文章を作り、十五になって村の学校へ入ったが、ついに父の歿くなっていることを知らなかった。
その時から朱のくるのが漸く疎《うと》くなって、月に一度か二度しかこないようになった。ある夜来て細君に言った。
「これでお前達といよいよ訣《わか》れる時がきた」
そこで細君が訊いた。
「何所へ往きます」
朱は言った。
「上帝の命を受けて、大華卿《たいがきょう》となって、遠くへ往くから、事務が煩わしいうえに途も遠いので、もうくることができない」
母子のものがとりすがって泣いた。すると朱は、
「泣いてはいけない、もう小児も大きくなって、生活《くらし》にも困らないじゃないか、百年も離れない夫婦が何所にある」
と言って、緯をかえりみて、
「よく立派な人になれ、父の後を絶やしてはならんぞ、十年したら一度逢う」
と言ってそのまま門を出て往ったが、それから遂にこなかった。
後、緯が二十五になって、進士に挙げられ、行人の官になって、命を奉じて西岳華山の神を祭りに往ったが、華陰《かいん》にかかると、輿《こし》に乗って羽傘《はねがさ》をさしかけて往く一行が鹵簿《ろぼ》に衝っかかってきた。不思議に思うて車の中をよく見ると、それは父の朱であった。緯は泣きながら馬をおりて左側の道にうずくまった。朱は輿を停めて、
「お前が官について評判が好いので、わしも安心しているぞ」
と言った。緯はうずくまったなりに起きなかった。朱は車をうながして往ってしまったが、すこし往って振りかえり、佩《お》びていた刀を解いて人に持たしてよこし、遥かに緯に向って、
「その刀を持っていると出世するぞ」
と言った。緯が追って往こうとすると、朱の一行の車も人もひらひらと風のように動いて、みるみる見えなくなってしまった。緯は痛恨やや久しゅうして刀を抜いて見た。それは精巧な刀であったが、一行の文字を鐫《ほ》ってあった。それは胆欲[#レ]大而心欲[#レ]小、知欲[#レ]円而行欲[#レ]方というのであった。
緯は後、官が司馬となって五人の小児を生んだ。それは沈《ちん》、潜《せん》、※[#「吻」の「口」に代えて「さんずい」、第4水準2−78−29]《ぶつ》、渾《こん》、深《しん》の五人であった。ある夜、渾の夢に父がきて、
「佩刀を渾に贈れ」
と言った。緯は父の言葉に従って渾に贈った。渾は後に都御史になって政治に功績があった。
底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月8日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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