ってきた者があった。見るとそれは昨夜の判官であった。朱は起って言った。
「俺は死ななくちゃならないのか、昨日神聖をけがしたから、殺しにきたのだろう」
判官は濃い髯の中から微笑を見せて言った。
「いや、そうじゃない、昨日招かれたから、今晩は暇でもあったし、謹んで達人との約を果そうと思って来たところだ」
「そうか、それは有難い」
朱はひどく悦んで、判官の衣を牽《ひ》いて坐らし、自分で往って器を洗い酒を温めようとした。すると判官が言った。
「天気が温かいから、冷でいいよ」
朱は判官の言うとおりに酒の瓶を案《つくえ》の上に置き、走って往って家内の者に言いつけて肴《さかな》をこしらえさせた。細君は大いに駭《おどろ》いて、判官の傍へ往かさないようにしたが、朱は聴かないで、立ったままで肴のできるのを待って出て往き、判官と杯のやりとりをした。
そして朱は判官に、
「あなたの姓名を知らしてください」
と言った。判官は、
「僕は陸という姓だが、名はないよ」
と言った。そこで古典の談《はなし》をしてみると、その応答は響のようであった。朱は陸に進士の試験に必要な文章のことを聞いた。
「制芸を知って
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