があります、あなたには霊があるじゃありませんか、なぜそれを用いてくださいません」
朱は言った。
「天[#「天」は底本では「朱」]の命数に違うことはできないよ」
「では、あなたは、冥途で何をしております」
「陸判官が推薦して、裁判の事務を監督する役にして、官爵を授けてくれたから、すこしも苦しいことはないよ」
そこで細君がまた何か言おうとすると、朱が止めて、
「陸公がいっしょに来てるから、酒肴の準備《したく》をしてくれ」
と言って出て往った。細君がその言葉に従って酒肴の用意をして出すと、室の中で笑ったり飲んだりして、その豪気と高声は生前とすこしも違わなかった。そして夜半に往って窺いてみると※[#「空」の「工」に代えて「目」、第3水準1−89−50]然《ようぜん》としていなかった。
それから三日おきぐらいに来て、時おりは泊って細君と話して往った。家の中のことはそれぞれ処理した。子の緯《い》はその時五歳であったが、くると手を引いたり抱いたりして可愛がった。緯が七八歳になった時には、燈下で読書を教えた。緯もまた聡明であった。九歳で文章を作り、十五になって村の学校へ入ったが、ついに父の歿くなっていることを知らなかった。
その時から朱のくるのが漸く疎《うと》くなって、月に一度か二度しかこないようになった。ある夜来て細君に言った。
「これでお前達といよいよ訣《わか》れる時がきた」
そこで細君が訊いた。
「何所へ往きます」
朱は言った。
「上帝の命を受けて、大華卿《たいがきょう》となって、遠くへ往くから、事務が煩わしいうえに途も遠いので、もうくることができない」
母子のものがとりすがって泣いた。すると朱は、
「泣いてはいけない、もう小児も大きくなって、生活《くらし》にも困らないじゃないか、百年も離れない夫婦が何所にある」
と言って、緯をかえりみて、
「よく立派な人になれ、父の後を絶やしてはならんぞ、十年したら一度逢う」
と言ってそのまま門を出て往ったが、それから遂にこなかった。
後、緯が二十五になって、進士に挙げられ、行人の官になって、命を奉じて西岳華山の神を祭りに往ったが、華陰《かいん》にかかると、輿《こし》に乗って羽傘《はねがさ》をさしかけて往く一行が鹵簿《ろぼ》に衝っかかってきた。不思議に思うて車の中をよく見ると、それは父の朱であった。緯は泣きながら馬をお
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