腰から一両の銀を出して、戴先生の掌に載せた。
「今これだけさしあげておきます、もし捉ってくだすったら、後でまたべつにお礼をいたします」
 戴先生は喜んで銀を収めた。
「では、すぐ後から準備《したく》をしてあがります。お二方は一足お前へ」
 李幕事と許宣はすぐ帰った。戴先生は間もなく後から来たが、その手には雄黄《いおう》を入れた瓶と薬水を入れた瓶を持っていた。
「どこに白蛇がおります」
 李幕事は白娘子のいる室を教えた。戴先生は教えられたとおりその室へ往ったが、室の扉は締っていた。戴先生は何かぶつぶつ言いながらその扉を開けようとしていると、扉は内から開いた。戴先生は内へ入って往った。内には桶の胴のような白い※[#「虫+(くさかんむり/天/廾)、146−7]蛇《うわばみ》がいて、それが燈盞《かわらけ》のような両眼を光らし、焔のような舌を出して、戴先生を一呑みにしようとするように口を持ってきた。戴先生は手にした瓶の落ちるのも知らずに逃げだした。
 李幕事と許宣は戴先生の結果を見にきたところであった。戴先生は二人に往きあたりそうになって気が注いた。李幕事が言った。
「先生、捉れたでしょうか」
 戴先生は呼吸をはずましていた。
「蛇なら捉れるが、あれは妖怪です、私はすんでのことに命を取られるところでした、あの銀はお返しします」
 こう言って戴先生は逃げるように出て往った。李幕事と許宣は顔を見合わして困っていた。
「あなた、ここへいらしてください」
 室の中から白娘子の声がした。許宣は体がぶるぶると顫えた。しかし、往かずにいてはどんなことをするかも判らないと思ったので、恐る恐る入って往った。中には白娘子が平生《いつも》と同じような姿で小婢と二人で坐っていた。
「あなたはほんとに薄情な方ですわ、あんな蛇捉の男なんか伴れてきて、あなたがそんなにわたしをいじめるなら、私にも考えがありますよ、この杭州一城の人達の命にかかわりますよ」
 許宣は恐ろしくてじっとして聞いていられなかった。彼はそのまま外へ出たが足を止めるのが恐ろしいので、足の向くままに歩いた。彼はもう清波門の外へ往っていた。彼はそこへ往ってから気が注いて、これからどうしたものだろうかと考えた。しかし、それからどうしていいか、どういう手段を取っていいかという考えはちょっと浮ばなかった。と、金山寺の法海禅師の言った偈の句が浮んできた。それと同時に再び※[#「薛/子」、第3水準1−47−55]畜《ちくしょう》に纏われたなら、湖南の浄慈寺にわしを尋ねてこいと言った法海禅師の詞が浮んできた。彼はそれに力を得て浄慈寺の方へ往った。
 浄慈寺には監寺の僧がいた。許宣は監寺に法海禅師のことを訊いた。
「法海禅師にお眼にかかりたいですが」
「法海禅師は、この寺へいらしたことはないのです」
 許宣は力を落して帰った。そして長橋の下まで来た。許宣はそれからどうしていいか判らなかった。彼は湖水の水に眼を注けた。俺が一人死んでしまえば何人《だれ》にも迷惑をかけないですむと思いだした。彼の眼の前には暗い淋しい世界があった。彼はいきなり欄干に足をかけて飛びこもうとした。と、後ろから声をかける者があった。
「堂々たる男子が、何故生を軽んじる、事情があるなら商量《そうだん》にあずかろうじゃないか」
 法海禅師が背に衣鉢を負い手に禅杖を提げて立っていた。許宣はその傍へ飛んで往った。
「どうか私の一命を救うてくださいまし」
「では、またあの※[#「薛/子」、第3水準1−47−55]畜が纏わってきたとみえるな、どこにおる」
「姐の夫の李幕事の家に来ております」
「よし、では、この鉢盂《はち》をあげるから、これを知らさずに持って往って、いきなりその女の頭へかぶせて、力一ぱいに押しつけるが宜い、どんなことがあっても、手をゆるめてはならない、わしは、今、後から往く」
 許宣は禅師から鉢盂をもらって李幕事の家へ帰った。李幕事の家の一室では白娘子が何か言って罵っていた。許宣はしおしおとした容《さま》をしてその室へ往った。白娘子は許宣を見るとしとやかな女になって、許宣に何か言いかけようとした。隙を見て許宣は袖の中に隠していた鉢盂を出して、不意に女の頭に冠せて力まかせに押しつけた。女は叫んでそれを除けようとしたが、除けられなかった。女の形はだんだんに小さくなっていった。そして、許宣がなおも力を入れて押しつけていると、女の形はとうとうなくなって鉢盂ばかりとなった。
「苦しい、苦しい、どうか今まで夫婦となっていたよしみに、すこし除けてください、私は死にそうだ」
 鉢盂の中からそうした声が聞えてきた。と、その時李幕事が来て言った。
「和尚さんが、怪しい者を捉りにきたと言って見えたよ」
「それは法海禅師です、早くお通ししてください」
 李幕事は急
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