柳毅伝
田中貢太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)柳毅《りゅうき》

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(例)※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]
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 唐の高宗の時に柳毅《りゅうき》という書生があった。文官試験を受けたが合格しなかったので、故郷の呉に帰るつもりで※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]川《けいせん》の畔《ほとり》まで帰ってきたが、その※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]川の北岸に同郷の者が住んでいた。毅はまず知人の許《もと》へ立ち寄り、やがて別れて六七里も行ったところで、路傍におりていた鳥の群がばたばたと立って飛んだので、馬がその羽音に驚いて左へそれて走った。そして六七里も矢のように行ったかと思うと、ぴったり止ってしまった。柳毅は馬の頭を向けなおして本道へ出ようとして、ふと見ると羊を伴《つ》れた若い女が路ぶちに立っていた。それは品のある綺麗な女であったが、何か悲しいことでもあるのか涙ぐましい顔をしていた。柳毅は磊落《らいらく》な、思ったことはなんでも口にするという豪快な質《たち》の男であった。
「貴女《あなた》のような美人が、どうしてそんなことをしているのです」
 女は淋しそうに笑った。
「私は、洞庭《どうてい》の竜王の女《むすめ》でございます。両親の命で、※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]川の次男に嫁《かた》づいておりましたが、夫が道楽者で、賤《いや》しい女に惑わされて、私を省《かえり》みてくれませんから、お父さんとお母さんに訴えますと、お父さんも、お母さんも、自分の小児《こども》の肩を持って、私を虐待して追いだしました、私はこのことを洞庭の方へ言ってやりたいと思いますが、路が遠いので困っております、貴郎《あなた》は呉にお帰りのようでございますが、どうか手紙を洞庭まで届けて戴けますまいか」
 女はすすり泣きをした。
「僕も男だ、君のそういうことを聞くと、どうにでもしてあげたいが、僕は人間だから、洞庭湖の中へは行けないだろう」
「洞庭の南に大きな橘の木がございます、土地の者はそれを社橘《しゃきつ》と言います、その木のある所へ行って、帯を解いて、それで三度木を打ってくださるなら、何人《だれ》か来ることになっております」
「それで好いなら、とどけてあげよう」
 女は着物の間に入れていた手紙を出して毅に渡した。毅はそれを腰の嚢《ふくろ》の中へ入れながら言った。
「貴女は何のために羊を牧《ぼく》しているのです」
「これは羊ではありません、雨工《うこう》です」
「雨工とはどんな物ですか」
「雷の類です」
 毅は驚いて羊のようなその獣に眼をやった。首の振り方から歩き方が羊と違った荒あらしさを持っていた。毅は笑った。
「では、これを洞庭へとどけてあげよう、そのかわり、帰ってきた時は、貴女は逃げないでしょうね」
「決して逃げはいたしません」
「では、別れましょう、さようなら」
 毅は馬を東の方へ向けたが、ちょと行って振り返って見ると、もう女の影も獣の影も見えなかった。
 毅はそれから一月あまりかかって故郷に帰ったが、自分の家へ行李を解くなり旅の疲労《つかれ》も癒さずに洞庭へ行って、女に教えられたように洞庭湖の縁《へり》を南へ行った。葉がくれに黄いろな実の見える大きな橘の木がすぐ見つかった。毅はこれだなと思ったので、帯を解いて橘の幹を三度叩いた。そして、終ってその眼を水の方へやったところで、一人の武士が水の中から出てきた。武士は毅の前へ来て拝《おじぎ》をした。
「貴客《あなた》は何方からいらっしゃいました」
 毅はこんな者に真箇《ほんとう》のことは言われないと思ったのででたらめを言った。
「大王に拝謁するために来たのです」
「では、お供をいたしましょう」
 武士は前《さき》に立って歩いて行ったが、水際《みぎわ》に出ると毅を見返った。
「すこしの間、眼をつむってくださいますように、そうするとすぐ行けますから」
 毅は武士の言うとおり眼を閉じた。毅の体は自然と動きだした。
「ここでございます」
 毅は眼を開けた。そこには宮殿の楼閣が参差《しんし》と列っていて、その間には珍しい木や草が花をつけていた。すこし行くと大きな殿堂がきた。それは白壁の柱で、砌《みぎり》に青玉を敷き、牀《こしかけ》には珊瑚を用いてあった。
「ここでお待ちくださいますように」
 武士は毅をその殿堂の隅へ連れて行った。毅はここはどうした所だろうと思って聞いた。
「ここはどこだね」
「霊虚殿《れいきょでん》でございます」
「大王はどこにいらるる」
「今、元珠閣《げんしゅかく》で、太陽道士と火経を講じておりますから、すぐお出ましになります」
 紫の袍《ほう》を著た貴人が侍臣に取り巻かれて宮門の方から出てきた。
「王様だ」
 武士はあわてて走って行って迎えた。紫衣《しい》の貴人は静かに入ってきた。毅は洞庭君だと思ったのでうやうやしく拝《おじぎ》をした。
「先生がここへ見えられたのは、わしに何を教えてくださるためでございます」
「私は※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]川の畔で、大王のお嬢さんにお眼にかかって、手紙をあずかりましたから、それでまいりました」
 毅は女からあずかってきた手紙を出して洞庭君の前へ置いた。洞庭君はそれを取って開けて読みだしたが、みるみるその顔が曇っていった。
「これは私の罪だ」
 洞庭君は涙の眼を毅に向けた。
「お陰で早く判ってありがたい、きっと報います」
 侍臣の一人が傍へ寄ってきた。洞庭君は女の手紙を渡して宮中へ持って行かした。
「女《むすめ》が可哀そうだ」
 宮中の方から女達の泣く声が聞えてきた。洞庭君はあわてて傍の者に言った。
「あんな大きな声をしては、銭塘《せんとう》へ知れる、何人《だれ》か早く宮中へ行って、大きな声を出さないように言ってこい」
 一人の侍臣はまた宮中の方へ行った。毅は銭塘とは何人であろうかと思った。
「銭塘とおっしゃるのは、何人《どなた》のことでございます」
「銭塘とは、わしの弟じゃ、堯《ぎょう》の時の洪水は、あれが怒ったから起ったのじゃ」
 不意に百雷の落ちかかるような大音響が起って、殿堂が崩れるように揺ぎ渡った。と、赤い大きな竜が火を吐きながら空に登って行くのが見えた。毅はびっくりして倒れてしまった。
「怖れることはない、先生に害はない」
 洞庭君は起《た》ってきて倒れている毅を助け起した。毅はやや安心したものの気味が悪くてたまらないので帰ろうと思った。
「今日はこれでお暇《いとま》いたします」
「そう急がないが好い、一つわしの志をさしあげよう」
 洞庭君は饗宴の席を設けさして毅と盃をあげた。洞庭君は酒を飲みながら毅が信義を重んじてわざわざ女の手紙をとどけてくれた礼を言って喜んだ。
 軟らかな風がどこからともなしに吹いてきて、笑声が聞え、その笑声に交って笛や簫《しょう》の音《ね》が聞えてきた。毅は不審に思って外の方を見た。たくさんの女の姿が空中に見えていたが、その中に※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]川の畔で見たかの女の姿があった。
「※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]川の囚人が帰ってきた」
 洞庭君は嬉しそうに言った。女達の姿は紫の霞に隠れたり見えたりしながら宮中の方へ流れるように行った。
 洞庭君はちょと席をはずして宮中の方へ引込んで行ったが、すぐ出てきて毅の相手になった。紫の袍を来て青玉を持ったいかつい顔の貴人が、いつの間にか洞庭君の傍へ来て立った。洞庭君は毅に言った。
「これがわしの弟の銭塘じゃ」
 毅は起って行って拝《おじぎ》をした。銭塘君も毅に礼を返した。
「先生がなかったなら、女姪《めい》は※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]陵《けいりょう》の土となるところであった」
 銭塘君は傲然として言ってから、今度は洞庭君の方を見た。
「さっきここを出てから、巳《み》の時に※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]陵へ行って、午《うま》の時に戦って、帰りに九天へ行って、上帝にその訳を訴えてきました」
「どれくらい殺した」
「六十万」
「稼《か》を傷《そこな》うたか」
「八百里傷いました」
「馬鹿者をどうした」
「喰ってしまいました」
「馬鹿者は憎むべきだが、お前もあまりひどいことをやったものだ」
 毅はその晩凝光殿へ泊った。翌日になると洞庭君は凝碧宮に饗宴を設けて御馳走をした。その庭には広楽を張ってあって、銭塘の破陣楽《はじんがく》をはじめ様ざまの音楽を奏した。
 翌日洞庭君は新たに清光閣に盛宴を張った。銭塘君は酒に酔って毅に言った。
「わしは先生に言いたいことがある、ぜひ女姪《めい》を家内にして貰いたい」
 毅は銭塘君の威圧的な言葉が厭であった。
「私は王の剛快明直なやり方は、非常に感心しておりますが、そういうような結婚は、厭でございます、これは大王の御判断を仰ぎたいと思います」
 銭塘君は自分の言ったことに気が注《つ》いた。
「これはわしが悪かった、どうかこらえてくれ」
 毅と銭塘君はそのときから知心の友となった。翌日になって毅が帰ることになると、洞庭夫人が潜景殿《せんけいでん》で送別の宴を張った。そこへは宮中の者が男も女も皆出ることを許された。
 夫人の傍にはいつの間にか※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−75]川の女が来て坐っていた。夫人は泣いていた。
「今日お別れして、いつまたお眼にかかることができましょう」
 毅は銭塘君の言葉を聞かなかったが、女と別れることは苦しかった。毅は燃えるような眼をして女の方を見た。女も悲しそうな眼をして毅の顔を盗み見た。
 毅は王宮を出て帰ってきた。十余人の者が洞庭君からの贈物を嚢に入れて随《つ》いてきた。毅はのちにその贈物を持って広陵へ行って宝物の店を開いたが、瞬く間に巨万の富を得て大豪族となった。
 毅はそこで結婚することにして、張姓の家から娶ったがすぐ亡くなったので、今度は韓姓の家から娶ったが、これも二三ヶ月してまた亡くなった。
 毅はそれから金陵へ移ったが、鰥暮《やもめぐら》しでは不自由であるから、范陽《はんよう》の盧姓の女を迎えた。見るとその女の顔が洞庭の竜女に似ていた。毅は昔のことを思いだして女に竜女の話をして聞かした。一年あまりすると、それに小供が生れた。その小児が生れて一ヶ月ぐらいすると女は毅に向って言った。
「私は、洞庭の女でございます、小児が生れたからほんとのことを申します」
 そこで毅は女と連れ立って洞庭へ行った。後、毅は南海に移ってそこに四十年いたが、容貌がすこしもかわらないので南海の人が驚いた。開元になって玄宗皇帝が神仙のことに心を傾けて道術を聞きにきたので、煩さがって洞庭へ帰って行った。
 開元の末になって、柳毅の義弟の薜瑕《せつか》[#「薜」はママ]が京畿《けいき》の令となっていたが、東南に謫官《たくかん》せられて洞庭湖を舟でとおっていると、不意に水の中に碧あおとした山が見えてきた。船頭はあすこには山がないと言って怪しんでいると、一艘の綺麗な船が瑕《か》を迎えにきた。瑕がその船に乗って山の麓へ行ってみると、宮殿があってその中に毅が笑っていた。毅は瑕に五十粒の薬をくれた。
「これを一粒飲めば、一年命が増す、これを飲んでしまったなら、また来るがいい、人間の世におって、苦しむには当らない」
 そこで二人は酒を飲んで別れたが、その瑕も後に行方が判らなくなってしまった。



底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振り
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