ぱり出してそれを口に入れたが、小さな舌がべろべろと動いただけであった。
餅屋の頭にふとひらめいたものがあった。それは幽霊が人間のように餅などを喫うはずがないと云うことであった。餅屋の頭には余裕が出来て来た。餅屋はじっとその容子を見た。小柄な顔の眼のちかちか光る男であった。
「たしかに人間だ、人をおどして物を取る盗人《ぬすっと》だ」
餅屋はいきなりその男に跳びかかった。彼はびっくりして餅屋をふり放して逃げだした。
「盗人、盗人、盗人を捕えてくれ」
餅屋は何処までもその男を追いかけて往った。
白い衣《きもの》を着た幽霊は町の博徒の一人であった。その悪漢は餅屋に捕えられて町の牢屋に入れられた。悪漢の口にしていた舌はコンニャクであった。酒屋ではこのことを聞いてもしやと思って墓の傍を掘って見た。埋めた衣類も金も何もなくなっていたので、はじめてその悪漢に謀られたと云うことが判った。
これは維新の際に千葉県の某処にあった実話を本《もと》として書いたものである。
底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集
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