とを申しあげてはならんぞ」
 為作の頭はその時何かに持ちあげられるようになってふいとあがった。たくさんの小さな沢蟹が紫がかった鋏をあげてぞろぞろと来るところであった。為作はまたべったりと頭を地べたにつけた。
「もったいない、もったいない、こんなもったいない目にあっては、この老人《としより》の命を、たった今召されても惜しくはありません、神様もったいのうございます」
 為作の感激に充ちた詞《ことば》は忽ち遮られた。
「この老いぼれ犬、どうも素振りが怪しい怪しいと思っておれば、こんな処でばてれんをやってけつかる」
 為作は顔をあげた。其処には前夜の林田が二人の男を伴れて立っていた。林田は前夜の復讐をかねて女を奪いに来たところであった。
「江戸から来ておる花魁《おいらん》あがりが、てっきりばてれんを持って来たにちがいない、すんでのことに、昨夜《ゆうべ》はばてれんの蟹の鋏で、この大事の眼を、衝き刺されるところであった」
 為作はそれよりも神の奇瑞に心を奪われていた。為作はそのまま頭を地べたにつけたのであった。
「お諏訪様、もったいのうございます、誠に何とも申しようがございません、お諏訪様、どうか
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