ざいます」
 二人はその時畑路の岐路《わかれみち》の処へ来ていた。その路を右に往くと諏訪神社のある草原で非常に近かった。二人は路の遠近のことは思わなかったが、そうした姿や話を村の人に見られ聞かれしたくないのでそのまま草原の方へ往った。松や榎の木立が月の下に隈をこしらえていた。
「お勝殿、お前の返事を聞かしてはくれまいか」
「はい」
 お勝が返事に困った時、むこうの方で騒がしい人声が起った。
「何かある」
 治左衛門はもうその話を続けることはできなかった。彼は二人で其処へ駈けつけることは憚られたが、お勝に対して躊躇することができないので、平気をよそおうて歩いて往った。
 祠の前には為作と源吉が立ち、その前《さき》の草原の外には冷たくなった林田の体を二人の男が引起そうとしていた。

       六

 地下浪人の林田がお諏訪様の蛇を踏んで死んだという奇怪な噂が広まるとともに、町の人の諏訪神社に対する尊崇の念が高まって来て、祠を改築して高壮な社殿にすることになったが、それには諏訪神社の思召《おぼしめし》にかなっている小供の身内の者が良いと云うことになって、為作が棟梁になって建築にかかった。
 源吉はその建築の最中でも、お諏訪様と遊ぶことがあった。
 社殿はその年の歳末になって落成したので、遷座式を行うことになった。神主は初めから係りあいになっている治左衛門であった。
 その日拝殿の正面には、神主の治左衛門が祭壇の方に向って坐り、そのすこし後に源吉が為作に伴れられて坐っていた。そして、町の頭だった人達は拝殿の昇口《あがりぐち》の方を背にして頭を並べていた。
 時刻が来ると治左衛門が祝詞《のりと》をはじめたが、その声が切れてしまった。町の人達は不思議に思った。と、源吉が云った。
「あ、牧野の旦那の首に、お諏訪様がいらあ」
 拝殿の中はしんとなった。その時治左衛門の体は背後《うしろ》向きになった。
「私の心に穢れがあって、明神の思召にかなわない、今日からこのお社の神主は、源吉殿にやらして、私が後見することにします」
 そこで源吉は治左衛門の被《き》ていた水干を被て祭壇の前に据えられた。

 この少年神主は、その後も時どきお諏訪様と拝殿の前で遊んだが、町の人は其処に沢蟹の群や蛙の群を見ることがあった。



底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1986(昭和
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