うになった。
やがて袁氏は二人の男の子を生んだ。その小供は至って怜悧で、二十歳《はたち》にならないうちから能《よ》く家事を治めた。その時分になって、孫恪は仕官の口が見つかったので、唐の都の長安に赴任する事となり、一家を挙げて出発したが、瑞州《ずいしゅう》という処へかかると、袁氏は孫恪に向って、
「瑞州の決山寺《けつざんじ》という寺に親しい僧がある、東西に別れてから数十年にもなるから、是非逢ってゆきたい」
と、言って決山寺へ往き、住持の老僧に逢ったが、老僧は袁氏を知らない。袁氏はまた懐から碧玉《へきぎょく》の環飾《わかざり》を出して老僧の前へ置いて、
「これは、この寺の旧物である」
と、言ったが老僧にはその意味も解らなかった。
その時、庭前《にわさき》の樹木へ数十疋の猿が来て啼きだした。それを見ると袁氏は非常に哀しいような顔をしはじめた。そして、筆を借りてそこの壁に詩を題し、終ると傍にいる二人の小供を抱き締めるようにしてさめざめと泣いていたが、やがて孫恪の方を向いて、
「これから永のお別れをします」
と言って、着ていた着物を引裂いて投げ出したのを見ると、赭顔円目《しゃがんえんもく》の一大老猿であった。それを見た皆が驚いているうちに、老猿は庭前の大木の上に飛びあがって、夫や小供の方を見て啼いていたが、まもなく欝蒼なる緑樹の中に姿を消した。孫恪は二人の小供と抱き合って泣き悲んだ。
その後で孫恪は老僧に向って、
「何かこれに就いて、思い当る事はないか」
と問うた。老僧は頻りに昔の事を追思《ついし》した末に、
「愚僧がまだ沙弥《しゃみ》であったころ、一疋の雌猿を養うていたが、某日《あるひ》、玄宗皇帝の勅使|高力士《こうりきし》がこの寺へ来て、その猿の敏捷なのを見て、絹を代りに置いて猿を携え往き、それを玄宗に奉ったところが、玄宗もまたその猿を非常に愛して上陽宮に養わしてあるうちに、安禄山の乱が起って、猿の行方も解らなくなったと聞いていたが、今|能《よ》く能く思い出してみると、この環飾は常にかの猿の首に嵌《は》めていた物だ」
と言った。孫恪はそれを聞くと、ますます悲しくなり、長安に往く事を中止して引返した。
底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
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