ぱいになった。
その勘右衛門が某日、山をおりて村の居酒屋へ往ったところで、居酒屋へ来あわせていた知り合いから妙なことを聞かされた。それは、お前の家《うち》に逗留している旅僧は、お尋ねものであるまいか。何でも政治向のことで上方では騒動があって、謀叛《むほん》を企《くわだ》てた一味の中には、殺人《ひとごろし》までしながら網をくぐって、西国へ逃げた者があるそうだ。もし、其の旅僧がそのうちの一人だとすると、早く警察へ突き出さなくてはならないと云うような事であった。
勘右衛門はその時、女房が旅僧から金を貰い、そのうえ、千代を嫁にしたいと申し込まれていると云うことを聞かされた。勘右衛門の苦悶は絶頂に達したが、頭を痛めるのみでどうすることもできなかった。
旅僧は潔癖で、風呂が好きであった。千代はいつも湯殿へいって背中を流したり、肩を揉んでやったりした。其の夜も旅僧は湯槽《ゆぶね》につかって、気もちよさそうに手拭で肩から胸のあたりを流していた。
外には月の光が漂よっていた。と、不意に風呂場へ忍び寄った覆面があった。覆面の手には種ヶ島《たねがしま》が握られ、火縄の端が蛍火のように光っていた。
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