十一娘とあなたが結婚ができるように、人の氷《なこうど》になりたいと思って来たのです。」
孟はびっくりしたが、しかしほんとうにはしなかった。三娘はそこで釵を出して孟に見せた。孟はとめどもなしに喜んだ。そして誓《ちか》っていった。
「こんなにまでしていただきながら、十一娘を得ることができなかったなら、私は一生|鰥《やもめ》で終ります。」
三娘はとうとういってしまった。翌朝になって孟は、隣の媼《ばあ》さんを頼んで范《はん》夫人の所へいってもらった。范夫人は孟が貧乏人であるから、女《むすめ》にはからないでそのままことわってしまった。十一娘はそれを知って心に失望すると共に、ひどく三娘が自分をあやまらしたことを怨んだ。しかし金の釵はもう返してもらうことはできない。十一娘はそこで死んでも孟と結婚しようと決心した。
数日して某|縉紳《しんしん》の子が十一娘に結婚を申しこむことになったが、普通の手段では諧《ととの》わないと思ったので、邑宰《むらやくにん》に頼んで媒灼《ばいしゃく》してもらった。その時その縉紳は権要の地位にいたから、范祭酒は畏れて結婚させようと思って十一娘の考えを訊いた。十一娘は苦しそうな顔をした。夫人が訊いた。十一娘は黙ってしまって何もいわなかったが、ただ目に涙を浮べていた。十一娘はその後で人をやって夫人にいわした。
「私は孟生でなければ、死んでも結婚しません。」
范祭酒はそれを聞いてますます怒って、縉紳の家へ結婚を許したが、そのうえに十一娘と孟とが関係があると疑ったので、吉日を撰《えら》んで急いで結婚の式をあげようとした。十一娘は忿《いか》って食事をしないで、毎日寝ていたが、婿が迎えに来る前晩になって、不意に起きて、鏡を見て化粧をした。夫人はひそかに喜んでいた。侍女がかけて来ていった。
「お嬢さんがたいへんです。」
十一娘は縊死《いし》していた。一家の者は驚き悲しんだが、もうおっつかなかった。三日してとうとう葬った。
孟は隣の媼《ばあ》さんから范家の返事を聞いて、憤り恨んで気絶しそうになったが、思いきることができないので、もう一度よりをもどしたいと思って女の容子《ようす》を探っていると、女にはもう婿《むこ》がきまったということが知れて来た。孟は忿《いか》りで胸の中が焼けるようになって、何の考えも浮ばなかった。そして間もなく十一娘が自殺して葬式をしたということが聞えて来た。孟はひどく歎いて、美しい人について一緒に死ななかったことを恨んだ。
孟は夜の暗いのをたよりに十一娘の墓へいって、心ゆくばかり哭《な》こうと思って、夜、家を出て歩いていると、向うからきっとなって来た者があった。擦《す》れ違おうとしてみるとそれは三娘であった。三娘はいった。
「結婚ができるのですよ。」
孟は泣いていった。
「あなたは、まだ十一娘が亡くなったのを知らないですか。」
三娘はいった。
「私ができるというのは、亡くなったからですよ。早くお宅の方を呼んで来て墓をお掘りなさい。私が不思議な薬を持っておりますから、かならずいきかえるのです。」
孟はその言葉に従った。墓を掘り棺を破って十一娘の屍《しかばね》を出し、穴をもとのように埋めて、自分でそれを負《せお》って三娘と一緒に帰り、それを榻《ねだい》の上に置いて三娘の持っていた薬を飲ました。時がたってから十一娘はいきかえって、三娘を見ていった。
「ここはどこです。」
三娘は孟に指をさしていった。
「ここは孟安仁の家ですよ。」
三娘はそこで故《わけ》を話した。十一娘ははじめて夢が醒《さ》めたようになった。三娘はそれが世間に漏《も》れることを懼れて、二人を伴れて十五里もある山村へいって、匿《かく》れさしておいて帰ろうとした。十一娘は泣いて留《と》めて、離屋《はなれ》におらした。そこで葬式の飾りにした道具を売って、それを生活費にあてたので、どうにか不自由がなかった。
三娘は孟が十一娘に逢うたびに座をはずした。十一娘は三娘にうちとけていった。
「私とあなたとは、ほんとうの兄弟も及ばない仲ですのに、それが長く一緒にいられないのです。蛾皇女英《がこうじょえい》になろうじゃありませんか。」
三娘はいった。
「私は小さい時に、不思議な術を授《さず》かって、気を吐いて長生することができるのですから、結婚はのぞまないです。」
十一娘は笑っていった。
「世間に伝わっている養生術は、たくさんあるのですが、どれがほんとうに好いのでしょう。」
三娘はいった。
「私の授かっているのは、世間の人の知らないものです。世間に伝わっているものは、皆ほんとうの法じゃないのです。ただ、華陀《かだ》の五禽図《ごきんず》は、いくらか虚でない所があります。いったい修練をする者で、血気の流通を欲しない者はないのですが、五禽図の方では、わけてそれをやるのです。もし、厄逆《しゃっくり》の症になると、虎形をするとすぐなおるのです。これがその験《しるし》じゃないでしょうか。」
十一娘はそっと孟といいあわせて、孟を遠くの方へいくようなふうをさして家を出し、夜になって三娘に強いて酒を飲ました。三娘がもう酔ってしまったところで、孟がそっと入って来た。三娘は醒めていった。
「あなたは私を殺し、もし戒を破らないで、道がなったら、第一天に昇ることができたのです。こんなになったのも運命です。」
そこで起きて帰っていこうとした。十一娘はほんとの自分の心をいってあやまった。三娘は、
「こうなれば私もほんとのことをいうのです。私は狐です。あなたの美しい姿を見て、あなたをしたって、繭《まゆ》の糸のようにまとっていて、こんなことになったのです。これは情魔の劫《ごう》です。人間の力ではないのです。再びとどまっておると、魔情がまたできます。あなたは福沢が長いから体を大事になさい。」
といいおわっていってしまった。夫婦は驚歎した。
翌年になって孟は郷試と会試に及第して、翰林学士となったので、名刺を出して范祭酒に面会を申しこんだ。祭酒は愧《は》じて逢わなかった。それを無理に頼んでやっと逢ってもらった。孟は入っていって婿としての礼を執《と》った。祭酒はひどく怒って、孟を軽薄な男ではないかと疑った。孟は人ばらいを頼んで、精しくその事情を話した。祭酒は信じないで、人をやって十一娘を探さしたが、孟のいったとおりであるからひどく喜んだ。そこでそっと孟を戒めて、だれにもいってはいけない、禍《わざわい》が起るかも解らないからといった。
二年して彼の縉紳《しんしん》は権門に賄賂《まいない》したことが知れて、父子で遼海《りょうかい》の軍にやられたので、十一娘ははじめて里がえりをした。
底本:「聊斎志異」明徳出版社
1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
2008年10月5日修正
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