封三娘
蒲松齢
田中貢太郎訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)范《はん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)今|精《くわ》しく

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(例)※[#「田+鹿」、330−1]
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 范《はん》十一娘は※[#「田+鹿」、330−1]城《ろくじょう》の祭酒《さいしゅ》の女《むすめ》であった。小さな時からきれいで、雅致《がち》のある姿をしていた。両親はそれをひどく可愛がって、結婚を申しこんで来る者があると、自分で選択さしたが、いつも可《よ》いというものがなかった。
 ちょうど上元《じょうげん》の日であった。水月寺の尼僧達が盂蘭盆会《うらぼんえ》を行ったので、その日はそれに参詣《さんけい》する女が四方から集まって来た。十一娘も参詣してその席に列っていたが、一人の女が来て、たびたび自分の顔を見て何かいいたそうにするので、じっとその方に目をつけた。それは十六、七のすぐれてきれいな女であった。十一娘はその女が気に入ってうれしかったので、女の方を見つめた。女はかすかに笑って、
「あなたは范十一娘さんではありませんか。」
 といった。十一娘は、
「はい。」
 といって返事をした。すると女はいった。
「長いこと、あなたのお名前はうかがっておりましたが、ほんとに人のいったことは、虚じゃありませんでしたわ。」
 十一娘は訊《き》いた。
「あなたはどちらさまでしょう。」
 女はいった。
「私、封《ふう》という家の三ばん目の女ですの。すぐ隣村ですの。」
 二人は手をとりあってうれしそうに話したが、その言葉は温《おだ》やかでしとやかであった。二人はそこでひどく愛しあって、はなれることができないようになった。十一娘《じゅういちじょう》は封三娘《ほうさんじょう》が独《ひと》りで来ているのに気がついて、
「なぜお伴《つ》れがありませんの。」
 といって訊いた。三娘はいった。
「両親が早く亡くなって、家には老媼《ばあや》一人しかいないものですから、来ることができないのです。」
 十一娘はもう帰ろうとした。三娘はその顔をじっと見つめて泣きだしそうにした。十一娘はぼうっとして気が遠くなった。とうとう十一娘は三娘を家へ伴れていこうとした。三娘はいった。
「あなたのお宅は立派なお宅ですし、私とはすこしも関係がありませんし、皆さんから何かいわれはしないでしょうか。」
 十一娘は無理に勧めて伴れていこうとした。
「そんなことありませんわ、ぜひまいりましょう。」
 三娘は、
「この次にいたしましょう。」
 といっていこうとしなかった。十一娘はそこで別れて帰ることにして、金の釵《かんざし》をとって三娘にやった。三娘も髻《もとどり》の上にさした緑の簪《かんざし》をぬいて返しをした。
 十一娘はそれから家へ帰ったが、三娘のことを思うとたえられなかった。そこで三娘のくれた簪を出してみた。それは金でもなければ玉でもなかった。家の人に見せてもだれもそれを知らなかった。十一娘はひどく不思議に思いながら、毎日三娘の来るのを待っていたが、来ないので悲しみのあまりに病気になった。両親はその故《わけ》を訊いて、人をやって近村を訪ねさしたが、だれも知った者はなかった。
 九月九日の重陽《ちょうよう》の日になった。十一娘は痩《や》せてささえることもできないような体になっていた。両親は侍女にいいつけて強いて扶《たす》けて庭を見せにいかした。十一娘は東籬《とうり》の下にかまえた席によっかかっていた。と、不意に外から垣をかきあがって窺いた者があった。それは三娘であった。三娘は、
「どうか私をおろしてください。」
 といった。侍女達はいうなりに垣の下へいって、足がかりになってやった。三娘はひらりとおりて来た。十一娘はひどく喜んで、いきなり起っていって、その手を取って自分の傍《そば》へ坐らした。そして約束に負いて来なかったことを責めて、そのうえ今日はどこから来たかを訊いた。三娘はいった。
「私のほんとうの家は、ここからよっぽど遠いのですが、時どき親類の家へ遊びに来るものですから、いつか近村といったのは、その親類の家のことなのですの。あなたとお別れして、私もあがりたくってあがりたくって仕方がなかったのですが、貧乏人がお身分のある方と交際するのですから、まだあがらないうちからはじるのですわ。それに下女下男から軽蔑せられるのがおそろしいのですから、ようあがらなかったのです。いま、ちょうど牆《かきね》の外を通ってますと、女の方の声が聞えるものですから、あなたなら好いがと思って、あがってみたのですの。お目にかかれてこんなうれしいことはないのです。」
 十一娘はそこで病気になっている故《わけ》を話した。三娘は涙を流したが、そこでいった。
「私の来たことはどうか秘密にしててくださいまし。ものずきがいろいろの評判をたてると困りますから。」
 十一娘は承知した。そこで一緒に十一娘の室へ帰って同じ榻《ねだい》に起臥して心ゆくばかり話しあった。十一娘の病気はやがて癒《なお》ってしまった。二人は約束して姉妹となって、書物も履物も互いに取りかえて着けた。人が来ると三娘は隠れた。二人はそうして五、六月もいた。范祭酒と夫人がそれを訊き知った。ある日二人が棋《ご》を囲んでいると、夫人が不意に入って来て、三娘をじっと見て驚いて、
「ほんとに好いお友達だ。」
 といって、十一娘の方を見て、
「好いお友達ができて、私もお父様もうれしいのですよ。なぜ早くいわなかったの。」
 といった。十一娘はそこで三娘の意のある所を話した。夫人は三娘の方をふりかえっていった。
「あなたのような方がお友達になってくだされて、私達はうれしいのですよ。なぜお隠しになるのです。」
 三娘はぽっと顔を赤くして、帯をいじるのみで何もいえなかった。
 夫人が出ていった後で、三娘は帰りたいといいだした。十一娘はたってそれを止めた。そこで三娘は帰らなかった。
 ある夜、室の外から三娘があたふたと走りこんで来て泣きながらいった。
「私が帰るというものを、帰してくださらないから、こんな侮辱《ぶじょく》を受けたのです。」
 十一娘は驚いて訊いた。
「どうしたのです、どんなことがありました。」
 三娘はいった。
「今便所にいってると、若い男が横から出て来て、私に悪戯《いたずら》をしようとするのです。逃げるには逃げたのですけど、ほんとに辱《はず》かしいことですわ。」
 十一娘は細かにその若い男の容貌を訊いてからあやまった。
「そんな馬鹿なことをする者は、私の兄ですよ。きっとお母様にいいつけて、ひどい目にあわさせますから。」
 三娘はどうしても帰るといいだした。十一娘は朝まで待って帰ってくれといった。三娘はいった。
「親類の家は、すぐ目と鼻の間ですから、梯《はしご》をかけて牆《かきね》を越さしてくださればいいのです。」
 十一娘は止めてもいないということを知ったので、一人の侍女に垣を踰《こ》えて送らした。半路ばかりもいったところで、三娘は侍女に礼をいって別れていった。侍女はそこで帰って来た。十一娘は牀《ねだい》の上に泣き伏していたが、ちょうど夫を失った人のようであった。
 三、四ヵ月して十一娘の侍女は何かのことで東の方の村へいって、夕方帰っていると、三娘が老婆について来るのにいきあった。侍女は喜んでお辞儀をして、三娘のことを聞いた。三娘も心を動かされたようなふうで、十一娘のことを訊いた。侍女は三娘の袂《たもと》を捉《とら》えていった。
「あなたがお帰りになってから、うちのお嬢さんは、あなたのことばかり死ぬほど思いつめていらっしゃるのですよ。」
 三娘もいった。
「私も十一娘さんのことを思ってるのですが、うちの方に知られるのが厭なのでね。帰ったならお庭の門を啓《あ》けててくださいまし。私がまいりますから。」
 侍女は帰ってそれを十一娘に知らした。十一娘は喜んでその言葉のとおりに庭口の門を啓けさした。三娘はもう庭へ来ていた。二人は顔を合わした。二人はそれからそれと話して寝ようともしなかった。侍女が眠ってしまうと、三娘は十一娘の牀《ねだい》へいって一緒に寝ながら囁《ささや》いた。
「私はあなたが許嫁《いいなずけ》をしていないことを知ってるのですが、あなたのような容貌《きりょう》を持ち、才能があり、立派な家柄があって、何も身分の貴《たか》い婿がなくっても好いでしょう。身分の貴い家の子供は、いばってていうにたりないですよ。もし佳《い》い夫を得たいと思うなら、貧乏人とか金持ちとかいわないが好いでしょう。」
 十一娘はそのとおりであるといった。三娘がいった。
「昨年あなたと逢った処で、今年もまたおまつりがありますから、明日どうかいってください。きっとあなたがお気にいる旦那様をお見せしますから。私はすこし人相の本を読んでます。あまりはずれたことがないのです。」
 朝まだ暗いうちに三娘は帰っていった。帰る時二人は水月寺で待ちあわす約束をした。
 やがて十一娘がいってみると三娘はもう先に来ていた。二人はそのあたりを眺望して境内を一めぐりした。十一娘はそこで三娘を自分の車へ乗せて帰っていった。寺の門を出たところで一人の少年を見かけた。年は十七、八であろう。布の上衣を着た飾らない少年であったが、それでいてその容儀にきっとしたところがあった。三娘はそっと指をさしていった。
「あれは翰林学士《かんりんがくし》になれる方ですよ。」
 十一娘はひとわたりそれを見た。三娘は十一娘と別れた。
「あなたが先へいらっしゃい。私は後からまいりますから。」
 夕方になって果して三娘は来た。そしていった。
「私は今|精《くわ》しく探《さぐ》ったのです。あの人は、私と同じ村の孟安仁《もうあんじん》という方ですわ。」
 十一娘は孟が貧しいというのを知ったので、いいといわなかった。三娘はいった。
「あなたは、なぜ世間なみのことを考えるのです。この人は長いこと貧乏する人じゃないのですよ。もしこれが間違ったなら、私は眸《ひとみ》をくりぬいて、二度と豪い男の人相はみないのですよ。」
 十一娘はいった。
「それじゃどうしたら好いでしょう。」
 三娘はいった。
「あなたから何かいただいて、それで約束をするのです。」
 十一娘はいった。
「あなたはあまり気が早いじゃありませんか。私にはお父様もお母様もいるじゃありませんか。赦《ゆる》してくれなかったらどうするのです。」
 三娘がいった。
「これは面倒なことですから、間違うとできないようになるのです。しかし、あなたの心がしっかりしていらっしゃるなら、生死のきわに立つようなことがあっても、だれもあなたの志を奪うことはできないのです。」
 十一娘はどうしてもそれと結婚しようというような気になれなかった。三娘はいった。
「あなたには結婚の機がもう動いているのですが、魔劫《まごう》がまだ消えないのですから、私はこれまでお世話になった恩返しと思って来たのです。ではお別れして、あなたからいただいた金の釵《かんざし》を、あなたからだといって贈りましょう。」
 十一娘は改めて相談してからにしようと思った。三娘は門を出て帰っていった。
 その時孟安仁は多才な秀才として知られていたが、貧乏であるから十八になっても結婚することができなかった。ところで、その日|忽《たちま》ち二人のきれいな女を見たので、帰ってからそのことばかり想《おも》っていた。一更《いっこう》がもう尽きようとしたところで、三娘が門を敲《たた》いて入って来た。火を点《つ》けてみると昼間に見た女であった。孟は喜んで来た故《わけ》を訊いた。三娘はいった。
「私は封《ほう》というものです。范十一娘の伴《つ》れでした。」
 孟はひどく悦んで、精しいことを聞く間もよう待たないで、急に進んで抱きかかえた。三娘はこばんでいった。
「私は毛遂《もうすい》じゃないのです、曹邱《そうきゅう》です。
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