刀を抜いて空払に払いあげた。新三郎の体は田の中へ落ちた。
 新三郎は田の中で起ちあがった。夜が明けかけて星の疎《まばら》になった空が眼についた。彼は刀を拾って田の畔へあがり小さな路へ出た。
 一挺の駕籠がむこうの方から来た。新三郎はこんな容《さま》を人に見られてはと思ったが、一条路で他に避ける処もないので、田の中へ隻足《かたあし》を入れるようにして、駕籠をやり過ごそうとした。駕寵の垂は巻いてあった。駕籠の中には吉良左京之進の姿があった。
「五月氏か、御健勝で」
 新三郎はその声を耳にすると共に、ばったり倒れて死んでしまった。

 八人御先の噂は日に日に昂まって来た。その噂は元親の耳にも入った。元親は嘲笑った。
「臆病者共が何を云う、そんなばか気たことがあってたまるものか」
 恐ろしい火の玉は城の中にも飛びだした。その火の玉に当って発狂する者もあった、病気になる者もあった。元親の傍にいた若侍の一人も、その火の玉に往き逢って病気になり、とうとう死んでしまった。元親もそれには驚いて、城下の寺へ云いつけて祈祷をさした。
 寺ではその云いつけどおり、八人の位牌を拵えて本堂の台の上に置き、数十人の僧侶がその前に立って読経をはじめた。この祈祷のことを聞き知った城下の人びとは、見物にとその寺へ集まって来た。
 読経は厳粛に行われた。集まって来た見物人は、この読経に耳を傾けて静まっていた。と、台の上に並べた八つの位牌が動きだした。親実の位牌が一番に台の上から飛びおりるように落ちると、後の位牌も順々にしたへ落ちた。僧侶は恐れて読経の声が止んでしまった。親実の位牌を前にして、位牌は列を作って本堂から出て往った。僧侶も見物も眼が眩んだようになって、それをはっきりと見る者はなかった。位牌は何時の間にか消えてしまった。そして、空の方で数人の笑う声が聞えた。
 位牌の不思議が元親の耳に入ると、元親も親実はじめ八人の者を殺したことを後悔しだした。彼は国中の寺々へ向けて、二日三夜の大供養をさした。寺々では領主の命を受けて、それぞれ供養をはじめたが、読経していると、僧侶の首が皆右の方へ捻向けられたようになって動かなくなった。
 元親はこのことを聞くと家来を己《じぶん》の前へ集めて、八人の怨霊を静める方法を評議した。
 傍に使われていた近侍の少年が、急に発狂したようになって云った。
「我は左京之進殿の使者《つかい》じゃ、左京を神にして祭るとなれば、喜んで受けられる」
 木塚の親実の墓は、結構を新らしくして社として祭りだした。木塚明神と云うのがそれである。八人御先の怪異は、それといっしょにすくなくなったが、それでも時どきその御先に往き逢ったと云って、病気になったり、頓死する者があったりするので皆それを非常に恐れた。

 比江山親興が、元親の検使に詰腹を切らされた時のことであった。親興は一人の家来に耳打をして、それを比江村の己《じぶん》の城へやった。それは妻子を落すためであった。親興には五人の小供があった。
 親興の妻は家来の報知《しらせ》によって、五人の小供を伴れ、その夜、新改村の長福寺へ忍んで往った。長福寺の住職は比江山の恩顧を受けている者であった。住職は六人の者を離屋《はなれ》に隠して、何人《だれ》にも知らせないようにと、飯時には握飯を拵えて己《じぶん》でそれを持って往った。
「拙僧の命に代えても、奥様とお子様達は、おかくまい申します」
 住職はこう云って六人の者を慰めていた。一方元親の方では、親興の妻子を失うつもりで、日吉の城へ討手を向けたところが、もう妻子は逃亡した後であったから、附近へ人を出して捜索さした。
「親興の妻子の居処を知らして来た者には、褒美の金をやる」
 という布告をだした。六人の者が田路を通って長福寺へ入って往くところを、植田の百姓達が見ていた。金に眼のくれた百姓達は訴人となって出た。
 数十人の討手は不意に長福寺へ来た。
「比江山の女房小供を渡せ」
 住職は驚いたが欺せるものなら欺そうと思った。
「めっそうもない、比江山の女房小供が隠れておるなどとは、存じもよらんことでござる」
「云うな、比江山の女房小供六人が、此処へ入ったところを、植田の者が見ていて、訴人に出たのじゃ、それでもおらんと云うか」
 討手の頭《かしら》は住職を叱りつけた。
「でもそんな者はおりません」
「争いは無益じゃ、家探しして捕えめされ」
 討手の者は頭の声と共に、ばらばらと寺の中へ駈けあがった。住職はそのまま離屋の方へ走って往って、六人の者を逃がそうとした。三四人の討手は住職を追って来て、彼が離屋の縁側へあがろうとするのを押えて捩伏せた。
「奥様も御子様達も、早く、早く、討手が来たから、早く、早く」
 住職は捩伏せられながら叫んだ。討手の者は皆其処へ集まって来た。六人の
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング