。
「この刀は外国から買ったものですが、人を殺すに未《いま》だ一度だって、縷《いとすじ》を濡《うる》おしたことがありません。私で三代これをつけております。首は千ばかり斬《き》っておりますが、まだ新らしく研《といし》にかけたようです。悪人を見ると鳴ってぬけます、どうも人を殺すのが近うございます。公子はどうか君子《くんし》と親しんで、小人《しょうじん》を遠ざけてください。そうしてくださるなら、ついすると免がれることができます。」
武は頷《うなず》いた。七郎はとうとう気持ちよく睡ることができなかった。彼は寝室の上で寝がえりばかりした。武がいった。
「災《わざわい》もさいわいも運命じゃないか。なぜそんなに心配するのです。」
七郎がいった。
「何もなければそれで佳《よ》いが。」
その寝台の下にいる三人のうちの一人は、林児《りんじ》という者で、それは老|弥子《びし》で主人の機嫌を取っていた。一人は年のころが十二、三で、武が給事に使っている者であった。他の一人は李応《りおう》という者で、ひどくねじけていていつも小さなことで武といい争っていたので、武はいつもそれを怒っていたが、その夜じっと考えてみると、きっとその悪人が李応のようであるから、朝になって傍へ呼んで、穏やかな言葉で暇をやって帰した。
武の長男の紳《しん》が王という家の女《むすめ》を娶《めと》っていた。ある日武は他出して林児を留守居にしてあった。そこの書斎の庭に植えてある菊の花が咲いていた。新婦の王は翁《しゅうと》が出ていって庭にはだれもいないと思ったので、自分でいって菊を摘んでいた。林児が走り出て来て戯れかかった。王は遁《に》げようとした。林児は王を小脇に抱えて室の中へ入った。王は啼《な》いてこばんだ。その王の顔色は変って声はいばえるようであった。紳はそれを聞きつけて走り込んで来た。林児は始めて王の手を放して逃げていった。
武は帰ってそれを聞いて、怒って林児をさがしたが、どこへいったのかいった処が解らなかった。二、三日過ぎてから始めて林児が某《なにがし》という御史《ぎょし》の家にいることが解った。そしてその御史某は都の方で官職にいたので、家事のことは一切その弟がきりまわしていた。武は同輩の義理があるから無断で林児をつかまえにいくことができない。書を某の弟に送って林児を渡してくれといった。某の弟はとうとうとりっぱ
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