これを取らした。七郎ははじめて受けて母の所へいったが、すぐ引返して来て金をかえした。武はどうかして取らそうとして三、四回も強《し》いた。七郎の母親がよろよろと入って来て、怒った顔をしていった。
「これは私の一人しかない悴です。お客さんに御奉公《ごほうこう》さしたくはありませんよ。」
武は慚《は》じて帰って来た。帰る道でいろいろと考えてみたが、七郎の母親のいった言葉の意味がはっきりと解らなかった。ちょうど伴《つ》れていった下男が家の後で、七郎の母親の言葉を聞いていてそれを武に知らした。それははじめ七郎が金を持っていって母にいうと、母は私が公子を見るに暗い筋があるから、きっと不思議な災難に罹《かか》る。人から聞くに、知遇を受けた者はその人の憂いを分けあい、恩を受けた者は人の難に赴《おもむ》かなくてはならない。金持ちは恩返しをするに金で恩返しをし、賃乏人は恩返しをするに義で恩返しをする。故《わけ》のないのにたくさんな贈物をもらうのは善いことではない。これはお前から命をなげすてて恩返しをしてもらおうとしているのだろうといった。
武はそれを聞いて、ひどく七郎の母親の賢明なことに感じ入った。そして、ますます七郎に心を傾けて、翌日御馳走をかまえて招待したが、遠慮して来なかった。そこで武は七郎の家へいって坐りこんで酒の催促をした。七郎は白分で酒のしたくをして、鹿の肉の乾したのを肴に出し、心をこめてもてなした。
翌日になって武は七郎に来てもらって御馳走の返しをしようとした。そこで七郎が来たが、二人の意気がしっくりあっていて二人ともひどく懽《よろこ》びあった。武[#「武」は底本では「式」]は七郎に金を贈ろうとした。七郎はおしのけて手にしなかったが武が虎の皮を売ってもらいたいといって口実をこしらえたので、はじめて取った。
七郎は自分の家へ帰って蓄えてある虎の皮を見たが、もらった金をつぐなえるだけの皮がなさそうであるから、再び猟をして後にそれを送ろうと思って、二日の間山へいったが猟《りょう》がなかった。ちょうどその時女房が病気になった。七郎は看病をしなくてはならないので仕事にいく遑《ひま》がなかった。十日あまりして女房の体が急に変って死んでしまった。七郎はそこで葬式のしたくをしたので、武からもらっていた金はなくなってしまった。武は自分で七郎の家へ見舞に来たが、その礼儀がひどく手あつ
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