六口を此島に移す」としてあって、大小こそあれ八島の湧出したことは、大八洲成生の伝説を髣髴《ほうふつ》さすものではないか。
 こうしてシナ朝鮮の大陸を根の国として、遊ぶ魚の水の上に浮ける如きわが日本の国土は成生したのであるが、それと共にこうした伝説の下に成生した国土には、一番島と背中合せの運命を担っているという不安さを感ぜずにはいられない。天武天皇十二年、俗に白鳳の地震と言っている地震に、土佐の田苑五十万|頃《けい》が陥没して海となったという伝説のあるなども、それを裏書してあまりあるように思われる。

     一 斉衡元暦の地震、安元の火事

 日本の地震で最初に文献にあらわれているのは、「日本書紀」の允恭天皇の五年七月、河内国の地震で、次が推古天皇の七年四月の大和国の地震である。西紀は河内の地震が四百十六年で、大和の地震が五百九十九年である。そのうちで大和の地震はかなり大きかったと見えて、「書紀」にも「七年夏四月乙未朔、辛酉、地動き、舎屋悉く破る、即ち四方に令し、地震の神を祭らしむ」と言ってある。
 日本の地震は允恭天皇の五年から今日に至るまで約千五百年間の歴史を有し、回数約千四百回
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