震があって象潟《きさがた》に海嘯。また文化九年十一月には、武蔵に地震があった。文政四年十一月には、岩代の地震。同五年閏一月には胆振《いぶり》にあって、それには有珠嶽が噴火した。文政にはまた十一年十一月に越後の地震があった。
天保元年七月には、山城、摂津、丹波、丹後、近江、若狭、同二年十月には肥前、同四年十月には佐渡、同五年一月には石狩、同七年七月には仙台、同十年三月には釧路、同十二年には駿河、同十四年三月には釧路、根室、渡島、弘化四年三月には信濃、越後、嘉永六年二月には相模、駿河、伊豆、三河、遠江に大きな地震やそれに伴う海嘯があって、次に来る安政大変災の前駆をなしている。
有名な安政の地震は、元年十一月四日と二年十一月二日の二回あって、江戸に大被害を蒙らしたのは二年の地震であった。安政には既に元年六月十五日になって、山城、大和、河内、和泉、摂津、近江、丹波、紀伊、尾張、伊賀、伊勢、越前の諸国にわたって大きな地震があった。
十一月四日の地震は、その日に東海、東山の両道が震い、翌日になって、南海、西海、山陽、山陰の四道が震うたが、海に沿うた国には海嘯があった。この地震は豊後海峡の海底
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