は大和が最も強く、奈良の東大寺、興福寺、薬師寺、法花寺、西大寺の諸寺に被害があった。同七年八月には、伊勢、遠江、駿河、甲斐、相模、伊豆の諸国に大地震があって、海に臨んだ国には海嘯があった。この海嘯には伊勢の大湊が潰れて千軒の人家を流し、五千の溺死人を出したが、鎌倉の由比ヶ浜にも二百人の犠牲者があった。また遠江の地が陥没して浜名湖が海と通じた。この月は京都にも奈良にも、陸奥にも会津にも強震があって、余震が月を重ねた。その明応には九年六月にも甲斐の大地震があった。文亀になってその元年十二月越後に、永正になってその七年八月に、摂津、河内、山城、大和に大地震があって、摂津には海嘯の難があった。
大永五年八月には鎌倉に、弘治元年八月には会津に、天正六年十月には三河に、同十三年十一月には、山城、大和、和泉、河内、摂津、三河、伊勢、尾張、美濃、飛騨、近江、越前、加賀、讃岐の諸国に大地震があって、海に瀕した国には海嘯があった。
「豊鑑」には「天正十二年霜月廿九日子の刻ばかりにやおびただしくなゐふりけり、その様いはん限りなし、いにしへもたびたび大なゐふりけると記しをれども、眼あたりかかることなんめづら
前へ
次へ
全28ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング