保九年四月にも弘化元年正月にも、同三年十二月にも慶応二年にも恐ろしい火事があった。
五 維新以後の災変
安政元年二月の大地震後、大きな地震はその年の十月と三年の十月に江戸にあった。そして安政三年七月には渡島、胆振にあって、それには海嘯《つなみ》があった。同四年閏五月に駿河、相模、武蔵、同年七月に伊予、同五年二月に越中、越前、同年三月に信濃、松代、同六年に武蔵の槻にあって、それが江戸時代のしんがりをしている。
明治では五年二月に浜田、二十二年七月に熊本、二十四年十月に濃尾、二十七年六月に東京、同年十月に庄内、二十九年六月に三陸、同年八月に陸羽、三十九年三月に台湾の嘉義、四十二年八月江州に大地震があったが、その内で濃尾の地震には七千余人の死人を出し、三陸の海嘯には二万余の死人を出した。大正になって三年三月に秋田の仙北、それから今回の十二年九月一日の関東の大地震で、それには約十万の犠牲者と約五十万の家屋とを失った。允恭天皇以来平均三年半に一回の大地震に逢うことになっている地震国に、七千万の人間がいて年年人口の過剰に苦しんでいるとは嘘のようである。
底本:「貢太郎見聞録」中公文庫、中央公論社
1982(昭和57)年6月10日発行
底本の親本:「貢太郎見聞録」大阪毎日新聞社・東京日日新聞社
1926(大正15年)12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:多羅尾伴内
2003年8月27日作成
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