た。
「こいつ出すぎた女め、そのままにはさしおかぬぞ」
傍へ来ていた藤八五文《とうはちごもん》の薬売の直助《なおすけ》が中に入った。
「まあ、まあ、どうしたものだ、そんな愛嬌《あいきょう》のない」それから尾扇に、「これは昨日雇われたばかりで、楊枝の値段もろくに判らねえ女でございます、どうかお気にささえないで」
喜兵衛は尾扇を抑《おさ》えた。
「打っちゃって置くがいい、参詣のさまたげになる」
喜兵衛はお梅たちを促《うなが》して往ってしまった。直助は其の後でお袖にからんだ。
「お袖さん、大事の体じゃないか、つまらんことを云ってはならんよ。それにしても考えてみれば、四谷左門の娘御が、楊枝店の雇女になるなんどは、これも時世時節《ときよじせつ》と諦《あきら》めるか。申しお袖さん、おめえもまんざら知らぬこともあるまい、いっそおれの情婦《いろ》になり女房になり、なってくれる気はないか」
直助はお袖に寄りそうた。お袖はむっとした。
「奥田将監《おくだしょうげん》さまは、わたしの父の左門と同じ格式、其の将監さまの小厮《こもの》であったおまえが、わたしをとらえて、なんと云うことだ、ああ嫌らしい」
「おまえだって、こんな処へ来る世の中じゃないか、そんな事を云うものじゃねえやな」
直助はお袖の肩へ手をかけた。
「ええもう知らないよ」
お袖は其の手を揮《ふ》りはなして引込んで往った。直助は苦笑した。
「あんなに強情な女もないものだ」
二
宅悦《たくえつ》の家では、藤八五文の直助が、奥まった室《へや》でいらいらしていた。直助はお袖の朋輩から、お袖が宅悦の家で地獄かせぎをしていると云うことを聞いて、金で自由にできることならと思って来ているところであった。其処には行燈《あんどん》はあるが、上から風呂敷をかけてあるので、室の中は真暗であった。
「ぜんたい、どうしたのだ」
其処へお袖が入ってきた。
「おう来たのか、来たのか」
お袖は手さぐりで直助の傍へ寄って往った。
「待ちかねたよ、お袖さん」
「え」
お袖は其処ではお紋《もん》と云うことにしていたので驚いた。
「驚くこたあねえよ、おれだよ」
お袖は其の声で初めて直助と云うことを知った。
「まあおまえは」
お袖はいきなり起《た》って障子を開けて逃げた。直助は追っかけた。
「まあ、まあ、お袖さん」
直助はお袖の
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