阿波の方へ往く者であった。それは秋の夕方のことで落ちかけた夕陽が路傍の林に淋しく射し込んでいた。長い長い山路で陽が入りかけたので飛脚は傍視《わきみ》もしなかった。それでも野根村の人家へ往き着くには、どうしても夜になるぞと彼は思っていた。
 と、背に風呂敷包を負うた一人の女が、杉の根本に倒れるように坐って、苦しそうに呻いていた。飛脚は急いでいたが、人通りのない山路で難儀している者を打ちゃって置けないので、その傍へ往った。
「どうした、どうした」と、飛脚は女の肩に手をかけるようにした。
 女は妊娠していたが、其処を通っているうちに急に産気づいたので、一人で困り抜いているところであった。女は神様にでも逢ったように喜んで、
「どうか私を助けてくださいませ」と云った。女は阿波から土佐の方へ往く者であった。
 飛脚は情深い男であった。産気のついた者をこんな山中にうっちゃって置いては、仮令《たとえ》一人でお産をすることはできるにしても、狼にでも嗅ぎつけられたら、その餌食になるのは判っている。これは助けてやらなければならないと思った。それにしても産気のついた者を伴《つ》れて往くこともできないから、それ
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