していた。庖丁らしいものを鉄床の上に置いてそれを鉄槌で鍛えていた。
 飛脚は其処へ入りながら家の内に注意した。狭い屋根の下には仕事場の土間と土壁で土間を仕切った二間ばかりの座敷があった。飛脚はちょっとそれに眼をやったが、入口に袖屏風を建ててあって内は見えなかった。鍛冶は顔をあげて見知らない客を見た。その手ではやはり鉄槌を揮っていた。
「鍛冶屋さん、一つ馬の靴を頼みたいが」と、飛脚は云った。
「打ちましょう、まあ、一喫やり」と、鍛冶は柔和な声で云った。
 飛脚は吹子のむこうへ往って其処の腰かけに腰かけ、煙草入を出して煙草を喫《の》みはじめた。
「鍛冶屋さんは知るまいが、私《わし》は昔この辺に来たことがあるから、お前さんの家も好く知っておる、お父《とっ》さんもお母《っか》さんも、まだに達者かな」
「親爺は、六年前に死にましたが、母はまだ生きております」
「そうか、お父さんは年に不足もなかろうが、それは惜しいことをした、お母さんは達者かな」
「どうも達者すぎてこまります」
「それは目出たい、今日は留守のようだな」
「いや、昨夜、遅く便所《せっちん》へ往きよって、ひっくりかえって鍋で額を怪我して、裏の木炭《すみ》納屋で寝ております」
「なに、鍋で額を切った、よっぽど切ったかな」
「私は眠っておって知らざったが、母が起すから庭へおりてみると、額を切ったと云うて、衣《きもの》を破いて巻いておりました、我慢の強い人じゃから、見せえと云うても見せませんが、今日は飯も少ししか喫わんところを見ると、よっぽど切ってたろうと思いますが、見せんからこまります」
 飛脚はいよいよ怪しいと思った。で、その老婆に逢って正体を見届けたいと思った。
「それはいかん、どうかして、傷を見てから、薬をつけんといかん、私《わたし》の印籠の中には、好い金創の薬があるから、つけてあげよう」
「そうですか、それはありがとうございます、どうかつけてやってつかあされませ」
「好いとも、それじゃ、これから二人で往って、私がつけてあげよう」
「それはどうもありがとうございます」
 二人は伴れ立って家の右側から廻って裏口へ往った。其処に小さな木炭納屋があった。二人はその中へ入って往った。右側に莚を積み重ねた処があって、その上に背の高い老婆が此方へ足を投げだして寝ていた。
「お母《かあ》」と、鍛冶が云った。
「なんだ」と、老婆
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