判らないが、一体鍛冶の母とは何んだろう、鍛冶の母にでも化けている狼のことであろうか、それでは佐喜の浜は野根の磯続きの村であるから、佐喜の浜へ往けば判ることだろうと思った。「佐喜の浜の鍛冶の母」と、云う詞が耳にこびりついて消えなかった。
二
朝になって陽が高くなったところで、六七人|伴《づれ》の旅人が野根の方から来たので、飛脚は女と嬰児を頼んでむこうの村にやり、己《じぶん》は一人野根の方へおりて往った。飛脚の刀のために死んだ二十余疋の狼の死体が血に塗れてそのあたりに横たわっていた。
そして、飛脚は午近くなって野根村へ往ったが、佐喜の浜の鍛冶の母のことが気になっているので、それの詮議をするつもりで、己の定宿にしている宿屋へ往って昼飯を喫い、宿の主翁《ていしゅ》に前夜の話を聞かしたが、鍛冶の母のことは云わなかった。
飯がすむと飛脚は、宿の主翁にこれから佐喜の浜へ廻る用事があるが、
「佐喜の浜には鍛冶屋があるだろうか」と、云って聞いてみた。
「あります、あります、庄という鍛冶屋があります」と、主翁が云った。
「其処に老人《としより》がいると聞いておるが、達者だろうか」
「老爺《じんま》はもう死んで五六年になるが、老婆《ばんば》はまだぴんぴんしておりますが、その老婆という奴がみょうな奴で、息子の嫁をまぜだしたりして、村でもとおり者でございます」
飛脚は佐喜の浜の方へ往きながら、いくら根性まがりの老婆でも、人間が狼の仲間入りはしないだろう、……しかしそれにしても佐喜の浜の鍛冶の母を呼うで来いと云ったのは不思議である、もしや、鍛冶の母と云うのは狼の化けている者であるまいかと思った。もし化けているものなら、前夜確に額に斬りつけてあるから、どうかなっておらねばならぬのであった。
その日海には大きな波のうねりが見えて沖が蒼黒くなっていた。飛脚は海岸を歩いて往った。小さな坂の上で壮《わか》い漁師に逢ったので聞いてみた。
「私は佐喜の浜の鍛冶屋へ、馬の靴を打ってもらいに往きよるが、あすこのお婆さんは達者かな」
「庄鍛冶の老婆《ばんば》か、彼奴は達者すぎて、庄が困っておる」
と、漁師は笑いながら擦れ違った。
とにかく額か何処かに怪我があるか無いかを見れば判ると思いながら歩いた。そして、佐喜の浜へ着いて鍛冶屋を聞いて尋ねて往った。
鍛冶屋の庄吉は仕事場で仕事を
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