侍はせめて殿様の手討にでもなれば、その罪がつぐなえると思って、腹を据えてしまった。
「暫く、暫く、暫く、暫く」
 と、云う声がする。何人《なんびと》か手討を止める容子である。
「殿、如何なる大罪を犯したかは存じませんが、愚僧に免じて、どうか生命だけは……」
 と、云うのは国主の信仰の厚い僧正であるらしい。
「姫を手にかけたる大罪人なれば、赦すまじき奴なれども、貴僧に免じて許しつかわす」
「そはありがたきしあわせにぞんじます、然らば、この者は今日より、愚僧の法弟といたして、姫の後世を弔わせます」
 僧は若侍の傍へ寄って来た。
「我が君のありがたきお情けによって、一命は愚僧が貰いうけた、今日から出家して、愚僧の法弟になるが好い」
 と云った。若侍は生命は既にないものと思っていたところであるから、非常に喜んだ。彼は隻手に小刀を抜き、隻手に髻《もとどり》を掴んで、ぶつりと根元から切ってしまった。
 若侍は通りかかった村の人に声をかけられて驚いた。彼は山の中の草の上に坐って、頭髪を切り、それを傍に置いて合掌していた。



底本:「日本の怪談」河出文庫、河出書房新社
   1985(昭和60)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:大野晋
校正:地田尚
2000年5月30日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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