それについて叫んだが、その声は雷のようであった。そこで一疋の巨きな鬼が来て曾をひっつかんで階下へ往った。そこに大きな鼎《かなえ》があって、高さが七尺ばかり、四囲《ぐるり》に炭火を燃やして、その足を真紅に焼いてあった。曾はおそろしくて哀れみを乞うて泣いた。逃げようとしても逃げることはできなかった。鬼は左の手をもって髪をつかみ、右の手で踝《くるぶし》を握って、鼎の中へ投げこんだ。曾の物のかたまりのような小さな体は、油の波の中に浮き沈みした。皮も肉も焦《や》けただれて、痛みが心にこたえた。沸きたった油は口に入って、肺腑を烹《に》られるようであった。一思いに死のうと思っても、どうしても死ぬることができなかった。ほぼ食事をする位の時間が経つと、鬼は巨きな叉《さすまた》で曾を取り出して、また堂の下へ置いた。王はまた書類をしらべて怒って言った。
「勢いに倚《よ》って人を凌いだものだ、刀山《とうざん》の獄を受けさすがいい」
鬼はまた曾をひッつかんで往った。そこに一つの山があって、巌石が壁のように切りたって聳え、それに鋭い刃を密生した筍のように植えてあった。そこにはもう数人の者が腹を突き刺され、腸《はらわた》をかけて泣き叫んでいたが、その声はいかにも悲しそうで、心も目もその惨酷さに耐えられなかった。鬼は曾を促して、山へ登らそうとした。曾は泣き叫んで身を縮めて動かなかった。鬼は毒錐《どくすい》で曾の脳天を突き刺した。曾は痛みを負いながらもまた憐れみを乞うた。鬼は怒って曾を捉えて起ち、空に向って力まかせにほうり投げた。曾は自分の体が雲の上に浮んだように感ずるまもなく、目が眩《くら》んで真逆さまに落ちた。刃は胸に突き通って痛さは言葉につくすことができなかった。そのうちに時間が経つと体の重みで刃の孔がだんだん闊《ひろ》くなって、たちまち脱け落ちて、手足は尺取虫のように屈んでしまった。
鬼はまた曾をおいたてて往って王を見た。王は曾が平生爵位を売り、名を鬻《ひさ》ぎ、法を枉《ま》げ、権勢を以て人の財産を奪いなどして得た所の金銭は幾何《いくばく》であるかということを詮議さした。そこで髯の長い人がそろばんを持って計算して言った。
「三百二十一万でございます」
王は言った。
「彼がこれまで積んできた位、また飲ますがいいだろう」
間もなく金銭を取って陸上にうずたかく積んだが、それは丘陵のようであった。それをだんだん釜の中に入れて烈火で鎔《と》かし、鬼は数疋の仲間に、杓をもってそれを曾の口に灌《そそ》がした。頤《おとがい》を流れると皮膚が臭い匂いをして裂け、喉に入れると臓腑が沸きたった。曾は平生その金のすくないのを患《うれ》えていたが、この時にはその金の多いのを患えたのであろう。
半日でそれが尽きた。王は曾を送って甘州へ往って女にした。五足六足往くと、架《たな》の上に鉄の梁があった。そのまわりは数尺であったが、それには一つの大きな輪を繋いであった。その大きさは幾百|由旬《ゆじゅん》ということが解らなかった。それには燈《ほのお》があって五色のあやをつくり、その光は空間を照らしていた。鬼は曾を鞭で敲いてその輪に登らした。曾はしかたなしにそれに登った。と、輪は足に随ってまわって、傾いて堕ちたような気がすると共に、体が涼しくなった。眸《ひとみ》を開けてみると自分はもう嬰児《あかんぼ》になっているうえに、しかも女になっていた。両親はと見ると綿の出た破れた衣服《きもの》を着ていたが、そこは土間の中で、瓢《ひさご》と杖があるのみであった。曾は心で、自分は乞食の子であるということを知った。
曾はそれから毎日乞食の子に随いて、物をもらいに出かけて往ったが、いつも腹が空いていて腹一ぱいに物を喫《く》うことができなかった。そして破れた衣服を着て、骨を刺すような風にいつも吹かれていた。
十四歳になって両親は顧秀才《こしゅうさい》の所へ売って妾にした。衣食はそこでほぼ足るようになったが、本妻が気があらくて、毎日その鞭の下で為事《しごと》をした。本妻は鉄を赤く焼いてからその乳のあたりに烙《やきばん》をしたが、しあわせなことには秀才は心がやさしくて可愛がってくれたので、やや自分で慰めることができた。
東隣に悪少年があって、ある夜垣を踰《こ》えて入ってきた。そこで自分のことを考えて、自分は前世で罪を犯して地獄の責め苦を被《こうむ》っているから、今またこんなことをしてはならないと思ったので、大声をあげて人を呼んだ。秀才と本妻が起きたので、悪少年はやっと逃げて往った。
それから間もない時のことである。ある夜秀才は曾を自分の室《へや》へ泊めた。二人の話がはずんできたので、曾は自分の身のうえのことを訴えていると、不意に大声がして室の戸を荒あらしく開け、二人の盗賊が刃を持って入ってきて、とうとう秀才の首を斬り、衣服《きもの》を嚢に入れて取って往った。曾は夜具の中に円くなって隠れ、息を殺していたが、盗賊が往ってしまったので、そこで大声をあげながら本妻の室へ奔《はし》って往った。本妻はひどく驚いて、泣きながらいっしょに秀才の室へ往ってしらべた。そして、とうとう妾が奸夫に良人を殺さしたものだという疑いが起ったので、それを訴えた。刑吏は曾を捕えて厳しく訊問した後に、とうとう極刑を以て、処分することになった。それは手足を切りおとし、次に吭《くび》を斬って死刑に処するのであった。曾は執《とら》えられて刑場へ往ったが、胸の中には無実の罪で殺されるという怒りが一ぱいになっていた。曾は刑場に往くのをこばんで無実であることを言いはったが、心では九幽十八獄にもこんな無道理なことはないと思うて、悲しみと怒りで泣き叫ぼうとしたところで、仲間の呼ぶ声が聞えてきた。
「おい、君うなされてるようだが」
曾はそこでからりと夢が寤《さ》めた。見ると老僧はなお座の上に座禅を組んだままであった。仲間の者は口々に言った。
「日が暮れてひもじいのに、いつまでぐうぐう睡っているのだ」
曾はそこでしおれた容《さま》をして起きた。僧は微笑して言った。
「宰相の占は、しるしがあったかな」
曾はますます驚いて、僧を拝して教えを請うた。僧は言った。
「徳を修めて仁を行うなら、火※[#「火+亢」、第4水準2−79−62]《かこう》中にも青蓮がありますじゃ、このわしが何を知りましょうや」
曾は思いあがってきて、すっかり気をおとして帰ったが、それから台閣《だいかく》の想いはあわいものになった。そして山へ入ったが終った所がわからなかった。
底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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