していた美しい妾を掠奪して往った。妾は髪をふりみだして啼いていた。もうその玉のような姿もよる所がなくなって、悲しみの火が心を焼くようであるが、どうすることもできないと思ったのか、憤りを含めながら敢て何も言わなかった。
みるみるうちに楼閣も倉庫も、一様に封印してしまった。護送の役人は曾を怒鳴りつけておったてた。夫婦は羅《うすもの》の裾をひきずりながら出たが、泣くこともできなかった。曾は歩くのが苦しいので悪い車でも手に入れて乗ろうとしたがそれもできなかった。
すこし往ったところで、妻は足が弱ってつまずきそうになった。曾は時どき片手を出して引いてやった。またすこし往くと自分もまたつかれてしまった。前方《むこう》を見ると高い山が半天にそそりたっていた。曾はとてもその山を越えることができないと思った。曾は妻と向きあって泣いた。しかし、護送の役人がこわい目をして見にきて、すこしも足を停めることをゆるさなかった。その時、夕陽がもう入っていたが、泊る所がないので、しかたなしに跛《びっこ》をひきながら往った。山の腰にまで往った頃、妻の力が尽きてしまって、路ばたに坐って泣きだした。曾もまた足を停めて休んだ。護送の役人に怒鳴られながら。と、たちまちたくさんの人声が騒がしく聞えてきた。それは盗賊の群で、手に手に刀を持って襲いかかってきた。護送の役人はひどく驚いて逃げてしまった。曾はひざまずいて言った。
「わしは左遷せられて往くところだ、何もない、宥《ゆる》してくれ」
盗賊は目をぎらぎらと光らして言った。
「俺達は、きさまに無実の罪をおわされたものだ、きさまの頭をもらいにきたのだ、他にほしい物はないのだ」
曾は怒鳴った。
「わしは罪を持っておるが、それでも朝廷の大臣だ、盗賊のぶんざいで何をする」
盗賊もまた怒って巨きな斧で曾の首を斬った。頭は地の上に堕ちてその音が聞えた。曾は驚くと共に疑うた。そこへ二疋の鬼《おに》が来て、曾の両手を背に縛っておったてて往った。
数時間して一つの都へ入った。そして、間もなく宮殿へ往った。宮殿の上には一人の醜い形をした王がいて、几《つくえ》に憑《よりかか》って罪を決めていた。曾は這うようにして前へ出て往った。王は書類に目をやって、わずかに数行見ると、ひどく怒って言った。
「これは君を欺き国を誤るの罪だ、油鼎《ゆてい》に置くがいい」
たくさんの鬼達がそれについて叫んだが、その声は雷のようであった。そこで一疋の巨きな鬼が来て曾をひっつかんで階下へ往った。そこに大きな鼎《かなえ》があって、高さが七尺ばかり、四囲《ぐるり》に炭火を燃やして、その足を真紅に焼いてあった。曾はおそろしくて哀れみを乞うて泣いた。逃げようとしても逃げることはできなかった。鬼は左の手をもって髪をつかみ、右の手で踝《くるぶし》を握って、鼎の中へ投げこんだ。曾の物のかたまりのような小さな体は、油の波の中に浮き沈みした。皮も肉も焦《や》けただれて、痛みが心にこたえた。沸きたった油は口に入って、肺腑を烹《に》られるようであった。一思いに死のうと思っても、どうしても死ぬることができなかった。ほぼ食事をする位の時間が経つと、鬼は巨きな叉《さすまた》で曾を取り出して、また堂の下へ置いた。王はまた書類をしらべて怒って言った。
「勢いに倚《よ》って人を凌いだものだ、刀山《とうざん》の獄を受けさすがいい」
鬼はまた曾をひッつかんで往った。そこに一つの山があって、巌石が壁のように切りたって聳え、それに鋭い刃を密生した筍のように植えてあった。そこにはもう数人の者が腹を突き刺され、腸《はらわた》をかけて泣き叫んでいたが、その声はいかにも悲しそうで、心も目もその惨酷さに耐えられなかった。鬼は曾を促して、山へ登らそうとした。曾は泣き叫んで身を縮めて動かなかった。鬼は毒錐《どくすい》で曾の脳天を突き刺した。曾は痛みを負いながらもまた憐れみを乞うた。鬼は怒って曾を捉えて起ち、空に向って力まかせにほうり投げた。曾は自分の体が雲の上に浮んだように感ずるまもなく、目が眩《くら》んで真逆さまに落ちた。刃は胸に突き通って痛さは言葉につくすことができなかった。そのうちに時間が経つと体の重みで刃の孔がだんだん闊《ひろ》くなって、たちまち脱け落ちて、手足は尺取虫のように屈んでしまった。
鬼はまた曾をおいたてて往って王を見た。王は曾が平生爵位を売り、名を鬻《ひさ》ぎ、法を枉《ま》げ、権勢を以て人の財産を奪いなどして得た所の金銭は幾何《いくばく》であるかということを詮議さした。そこで髯の長い人がそろばんを持って計算して言った。
「三百二十一万でございます」
王は言った。
「彼がこれまで積んできた位、また飲ますがいいだろう」
間もなく金銭を取って陸上にうずたかく積んだが、それは丘陵のようであ
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