家へ帰ったが、そこは旧《もと》の自分の住宅でなかった。絵を画いた棟、彫刻をほどこした榱《たるき》、それは壮麗の極を窮めたものであった。曾も自分で何のためににわかにこんな身分になったかということが解らなかった。そして、髯をひねりながら小さな声で人を呼ぶと、その返事が雷のように高く響いた。
 俄かに公卿から海から獲れた珍しい物を贈ってきた。傴僂《せむし》のように体を屈めてむやみにお辞儀をする者が家の中に一ぱいになった。参朝すると六卿がうやまいあわてて、※[#「尸+徙」、第4水準2−8−18]《はきもの》をあべこべに穿《は》いて出て迎えた。侍郎《じろう》の人達とはちょっと挨拶して話をした。そして、それ以下の者には頷いてみせるのみであった。
 晋国の巡撫から十人の女の楽人を餽《おく》ってきた。それは皆美しい女であったが、そのうちでも嫋嫋《じょうじょう》という女と仙仙という女がわけて美しかった。二人はもっとも曾に寵愛せられた。曾はもう衣冠束帯して朝廷にも往かずに、毎日|酒宴《さかもり》を催していた。ある日曾は、自分が賤しかった時、村の紳縉王子良《しんしんおうしりょう》という者の世話になったことを思いだして、自分は今こんなに栄達しているが、渠《かれ》はまだ官途につまずいていて昇進しないから、一つ引きたててやらなくてはならないと思って、翌朝|上疏《じょうそ》して王を諫議大夫に推薦し、そこで天子の諭旨を奉じて、たちどころに引きあげて用いた。また郭太僕《かくたいぼく》がかつて自分をにらみつけたことを思いだして、そこで、呂給諫《ろきゅうかん》、及び侍御の陳昌たちを呼んで謀《はかりごと》を授けたが、翌日になると郭太僕を弾劾した上書が彼方此方から出てきた。曾はそこで天子の旨を奉じて郭太僕の官職を削った。そして恩も怨みも返してしまって、頗る快い気もちであった。
 ある時郊外を通っていると、酔っぱらいが来て車に突きあたった。そこで人をやって縛って京兆尹《けいちょういん》に渡した。京兆尹は獄卒に命じて杖で敲《たた》いて殺さした。付近の人びとは皆勢いに畏れて上等の産物を献上した。それから曾は非常に富裕になった。
 間もなく嫋嫋と仙仙が前後してなくなった。曾は朝夕二人のことを追想していたが、不意に憶いだしたことがあった。それは昔東隣の女を見て美しかったので、いつも妾にしたいと思ったが、財力が弱くてお
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