うことをさとった。そこで陳は訊いた。
「きみは、どうしてそれを精《くわ》しく知っているのです」
公主は言った。
「あの日洞庭で、小さな魚がいて、尾を銜んでいたでしょう、それがこの私です」
陳はまた訊いた。
「殺しもしないのに、なぜぐずぐずして早く赦してくれなかったのです」
公主は笑って言った。
「あなたを愛しておりましたが、ただ自分勝手にできないものですから、一晩中心配しておりました、他の人の知らないことですから」
陳は歎息して言った。
「きみは、僕のための鮑叔《ほうしゅく》だ、そして、あの食物を持ってきてくれた者は、何人ですか」
公主は言った。
「阿念《おねん》といいます、これも私の腹心の者です」
陳は言った。
「何をもって私に報いてくれます」
公主は笑った。
「あなたを長いことお待ちしました、これから責めをふさぐようにしても、おそくはないでしょう」
陳は訊いた。
「大王は何所にいらっしゃるのです」
公主は言った。
「関帝に従って蚩尤《しゆう》の征伐に往って、まだ帰りません」
四五日いるうちに、陳は自分の家のことが気になってしかたがないので、そこでまず平安無事を報ずる書を作って従僕を帰した。陳の家では洞庭で舟が覆ったということを聞いて、妻子はもう一年あまりも喪に服していたが、従僕が帰ったので、はじめて死んでいないことを知った。しかし家からは音信することができないので、終《つい》に他郷に漂白して帰ることができないだろうと心配していたが、それから半年ばかりして陳が不意に帰ってきた。肥えた馬、軽い裘《けごろも》、ひどく立派な旅装をしていたが、嚢中《のうちゅう》には宝玉がみちていた。
陳の家はそれがために巨富の富ができた。陳はそれから豪奢な生活をはじめたが、旧家の人もそれには及ばなかった。七八年の間に五人の児を生んだ。陳は毎日賓客を招いて饗宴を張ったが、室から料理から豊盛の極を尽していた。陳に向ってその境遇のことを訊く者があると、すこしも忌《い》み憚《はばか》らずに話した。
陳の幼な友達に梁子俊《りょうししゅん》という者があった。南方へ往って官吏をしていて、十余年目に故郷へ帰ってきたが、洞庭を舟で通っていると、一艘の画舫《がぼう》がいた。それは檻《てすり》に雕彫《ちょうこく》をした朱の窓《まど》の見える美しい舟であったが、中から笙に合せて歌う歌声が
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