いく者だが。」
 といって故《わけ》を話した。すると僮子は、
「私は成道士の弟子でございます。」
 といって、代って荷物を荷い、路案内をしてくれたが、星飯露宿《せいはんろしゅく》、はるばるといって三日目になってやっとゆき着いた。そこは人間《じんかん》にあるいわゆる上清宮ではなかった。季節は十月の中頃であるのに、花が路に咲き乱れて初冬とは思われなかった。
 僮子が入っていって、
「お客さまがお出でになりました。」
 といった。すると遽《にわか》に成が出て来て、己《おのれ》の形になっている周の手を執《と》って内へ入り、酒を出して話した。
 そこには綺麗《きれい》な羽のめずらしい禽《とり》がいて、人に馴《な》れていて人が傍へいっても驚かなかった。その鳴く声は笛の音のようであったが、時おり座上《ざしき》へ入って来て鳴いた。周はひどくふしぎに思いながらも若い細君のことをはじめ世の中のことが心に浮んで来て、いつまでもそこにいようというような意《こころ》はなかった。
 そこには二枚の蒲団《ふとん》があった。二人はそれを曳《ひ》きよせて並んで坐っていたが、夜がふけていくに従って心がすっかり静まった。その時周はうとうとしたが、それと共に自分と成とが位置を易《か》えたような気がした。周はふしぎに思って頷《あご》をなでてみた。そこには髭の多い故《もと》の自分の頷があった。周は安心した。
 朝になって周は帰りたくなったので成にいった。成は固く留《と》めて返さなかった。三日すぎてから成がいった。
「今晩はすこし寝るがいいだろう。明日は早く君を送ろう。」
 周は成の言葉に従って睡《ねむ》ったところで、成の声がした。
「仕度《したく》ができたよ。」
 そこで周は起きて旅装を整えて成について出発した。周は成のいった道をゆかず他の道をいった。二人は暗い中をすこしいったかと思うと、もう故郷の村であった。成は路ばたに坐って周に向い、
「ひとりで帰るがいい。」
 といった。周は成を伴れていきたかったが、強《し》いてもいえないので独りで家の門を叩《たた》いた。返事をする者もなければ起きて来る者もなかった。周はそこで牆《かき》を越えて入ろうと思った。と、自分の体が木の葉の飛ぶようになって一躍《ひととび》に牆を越えることができた。垣はまだ二つ三つあった。周はその垣も越えて自分の寝室の前へといった。寝室の中には燈《ともしび》の光がきらきらと輝いて、細君はまだ寝ずに何人《なんぴと》かとくどくどと話していた。周は窓を舐《な》めて窺《のぞ》いてみた。そこには細君と一人の下男とが一つの杯《さかずき》の酒を飲みあっていたが、その状《さま》がいかにも狎褻《おうせつ》であるから周は火のようになって怒り、二人を執《とら》えようと思ったが、一人では勝てないと思いだしたので、そっと脱けだして成の所へ行って告げた。成は慨然《がいぜん》としてついて来た。そして寝室の前にいくと周は石を取って入口の扉を打った。内ではひどく狼狽《ろうばい》しだした。周はつづけざまに扉を打った。内では必死になって扉を押えて開かないようにした。そこで成が剣を抜いて斬りつけると、扉がからりと開いた。周はすかさず飛びこんでいった。下男が扉を衝《つ》いて逃げだした。扉の外にいた成が剣をもって片手を斬りおとした。周は細君を執えて拷問したところで、自分が獄にいれられた時から下男と私《わたくし》していたということがわかった。周はそこで成の剣を借りて細君の首を斬り、その腸《はらわた》を庭の樹の枝にかけて、成に従って帰山の途についた。と、思ったところで周の眼が醒《さ》めた。自分は寝台の上に臥《ね》ていたのであった。周はびっくりして、
「つじつまの合わない夢を見たのだ。驚いたよ。」
 といった。すると寝台を並べて寝ていた成が笑っていった。
「君は夢を真箇《まこと》にし、真箇を夢にしているのだ。」
 周は愕《おどろ》いてそのわけを問うた。成は剣を出して周に見せた。それにはなまなまと血がついていた。周は驚き懼《おそ》れて気絶しそうにしたが、やがて、それは成の法術で幻《まぼろし》を見せたではあるまいかと疑いだした。成は周の意を知ったので、
「嘘《うそ》か実《まこと》か見て来たらいいだろう。」
 といって、周に旅装をさして送って帰った。そのうちに故郷の入口になると、
「ゆうべ、剣に倚《よ》って待っていたのはここだよ。僕はけがれたものを見るのが厭だから、ここで君の還るのを待とう。もし午《ひる》すぎになって来なかったなら、僕はいってしまうよ。」
 といった。周は成に離れて家へいった。門の戸がしんとしていて空屋のようになっていた。そこで周は弟の家へ入った。弟は兄を見て涙を堕《おと》していった。
「兄さんがいなくなった後で、盗賊が入って、嫂《ねえ》さんを殺して、腸《はらわた》を刳《えぐ》って逃げたのですが、じつに惨酷《ざんこく》な殺しかたでしたよ。だが、それがまだ捕《つかま》らないです。」
 周ははじめて夢が醒《さ》めたように思った。そこで周は弟に事情を話して、もう詮議《せんぎ》することをやめるがいいといった。弟はびっくりして暫くは眼をみはっていた。周はそこで子供のことを聞いた。弟は老媼《ばあや》にいいつけて子供を抱いて来さした。周はそれを見て、
「この嬰児《あかんぼ》は、祖先の血統を伝えさすものだがら、お前がよく見てやってくれ。私はこれから世の中をすてるのだから。」
 といってそのまま起って出ていった。弟は泣きながら追いかけて挽《ひ》きとめようとしたが、周は笑いながら後を顧みずにいった。そして郊外に出て、そこに待っていた成と一緒になって歩きだしたが、遥かに遠くへいってからふりかえって、
「物事を耐え忍ぶことが、最も楽しいことだよ。」
 といった。弟はそこでそれに応《こた》えようとしたところで、成が闊《ひろ》い袖をあげたが、そのまま二人の姿は見えなくなった。弟は悵然《ちょうぜん》としてそこに立ちつくしていたが、しかたなしに泣きながら家へ返った。
 この周の弟は世才がないので家を治めてゆくことができず、数年の間に家がたちまち貧しくなった。その時周の子がやっと成長したが教師をやとうことができないので、自分で読書を教えていた。
 ある日朝早く書斎に入ってみると案《つくえ》の上に函書《てがみ》がのっかっていて、固く封緘《ふうかん》をしてあった。そして函書には「仲氏啓《おとうとひらく》」としてあった。よく見るとそれは兄の筆迹であった。そこで弟はそれを開けてみたが、ただ爪が一つ入っているのみで他には何もなかった。爪は長さが一寸ばかりのものであった。弟はそれを研《すずり》の上に置いてから書斎を出、家《うち》の者に彼の函書はだれが持って来たかといって聞いたが、だれも知っている者がなかった。ますますふしぎに思って書斎に入ってみると、彼の爪を置いてあった研石がぴかぴかと光っていた。それは化して黄金となっているところであった。弟は大いに驚いたが思いついたことがあるので、その爪を傍《そば》にあった銅器と鉄器の上に置いてみると、それも一いち黄金になった。周の弟はこれがために富豪になったので、千金を成の子に贈った。それによって世間で周の家と成の家には点金術があるといいつたえた。



底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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