困つてをりました、」
「さうですか、それはちようど好かつた。飯はどうです、」
「まだです、あなたはもうお済みになつたでせう、」
「すこしくさくさすることがあつてまだです。何所か其辺へ行つて飯を喫はうぢやありませんか、」
「くさくさすることがあるなら、いつそこれから銚子へ行かうぢやありませんか、」
「さうですね。行つても好いですね、」
二人は引ツ返して弁天堂の前の方へと行つた。
六
省三は電車をおりて夕陽の中を帰つて来たが格子戸を開けるにさへこれまでのやうに無関心に開けることが出来なかつた。
彼は先づ細君がゐるかゐないかを確かめるために玄関をあがるなり見付の茶の間の方を見た。其所はひつそりして人の影もないので左側になつた奥の室を見た。
細君の姿は其所に見えた。去年こしらへた中形の浴衣を着て此方向きに坐り団扇を持つた手を膝の上に置いてその前に寝てみる子供の顔を見るやうにしてゐた。
彼はそれを見付けると、『うむ、』と云ふやうな鼻呼吸とも唸り声とも分らない声を立ててみたが細君が顔をあげないので仕方なしに右側の書斎へと這入つて行つた。
暗鬱な日がやがて暮れてし
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