はピンを刺されたまま崩れるやうに室の外へ出て行つた。
 省三は夢現の境に女の声を聞いてふと眼を開けた。それと一緒に女が後ろから著せた羽織がふはりと落ちて来た。

 省三は女に送られてボートで帰つてゐた。それは曇つた日の夕方のことで鼠色に暮れかけた湖の上は蝸牛の這つた跡のやうにところどころ気味悪く光つてゐた。
 省三は女の家に二三日ゐて帰るところであつた。彼は艫に腰を懸けて女と無言の微笑を交はしてゐたがふと眼を舟の左側の水の上にやると一尾の大きな鯰が白い腹をかへして死んでゐた。
「大きな鯰が死んでゐますね、」
 省三はその鯰をくはしく見るつもりでまた眼をやつた。黒いピンのやうなものが咽喉元に松葉刺しにたつてゐた。
「咽喉をなにかで突かれているんですね、」
「いたづらをして突かれたもんでせう。それよりか、次の金曜日にはきつとですよ、」
「好いんです、」

          五

 すこし風があつて青葉がアーク燈の面を撫でてゐる宵の口であつた。上野の山を黙々として歩いてゐた省三は、不忍の弁天と向き合つた石段をおり、ちやうど動坂の方へ行かうとする電車の行き過ぎるのを待つて、電車路をのつそりと
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