小翠
蒲松齢
田中貢太郎訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)王太常《おうたいじょう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)広西|中丞《ちゅうじょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「ころもへん+因」、第4水準2−88−18]褥《しとね》
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王太常《おうたいじょう》は越人であった。少年の時、昼、榻《ねだい》の上で寝ていると、空が不意に曇って暗くなり、人きな雷がにわかに鳴りだした。一疋《いっぴき》の猫のようで猫よりはすこし大きな獣が入って来て、榻の下に隠れるように入って体を延べたり屈めたりして離れなかった。
暫くたって雷雨がやんだ。榻の下にいた獣はすぐ出ていったが、出ていく時に好く見るとどうしても猫でないから、そこでふと怖《こわ》くなって、次の室にいる兄を呼んだ。兄はそれを聞いて喜んでいった。
「弟はきっと、ひどく貴《とうと》い者になるだろう。これは狐が来て、雷霆《らいてい》の劫《ごう》を避けていたのだ。」
後、果して少年で進士になり、県令から侍御《じぎょ》になった。その王は元豊《げんぽう》という子供を生んだが、ひどい馬鹿で、十六になっても男女の道を知らなかった。そこで郷党では王と縁組する者がなかった。王はそれを憂えていた。ちょうどその時、一人の女が少女を伴《つ》れて王の家へ来て、その少女を元豊の夫人にしてくれといった。王夫妻はその少女に注意した。少女はにっと笑った。その顔なり容《かたち》なりが仙女《せんじょ》のように美しかった。二人は喜んで名を訊いた。女は自分達の姓は虞《ぐ》、少女の名は小翠《しょうすい》で、年は十六であるといった。そこで少女を買い受ける金のことを相談した。すると女がいった。
「私と一緒にいると腹一ぱいたべることもできません。こうした大きなお宅に置いていただいて、下女下男を使って、おいしいものがたべられるなら、本人も満足ですし、私も安心します。金はいただかなくてよろしゅうございます。」
王夫人は悦《よろこ》んで小翠をもらい受けることにして厚くもてなした。女はそこで小翠にいいつけて、王と王夫人に拝《おじぎ》をさして、いいきかせた。
「このお二方は、今日からお前のお父さんお母さんだから、大事に事《つか》えなくてはいけないよ。私はひどく忙しいから、これから帰って、三、四日したらまた来るよ。」
王は下男にいいつけて女を馬で帰そうとした。女は家はすぐ近いから、人手を煩わさなくても好いといって、とうとうそのまま帰っていった。小翠は悲しそうな顔もせずに、平気で匳《はこ》の中からいろいろの模様を取り出して弄《いじ》っていた。
王夫人は小翠を可愛がった。夫人は三、四日しても小翠の母親が来ないので、家はどこかといって訊いてみたが、小翠は知らなかった。それではどの方角からどうして来たかと訊いたが、それもいうことができなかった。
王夫妻はとうとう外の室をかまえて、元豊と小翠を夫婦にした。親戚の者は王の家で貧乏人の子供を拾って来て新婦にするということを聞いて皆で笑っていたが、小翠の美しい姿を見て驚き、もうだれも何もいわないようになった。
小翠は美しいうえにまたひどく慧《りこう》であった。能く翁《しゅうと》姑《しゅうとめ》の顔色を窺《み》て事《つか》えた。王夫妻もなみはずれて小翠を可愛がった。それでも二人は嫁が馬鹿な悴《せがれ》を嫌いはしないかと思って恐れた。小翠はむやみに笑う癖があってよく謔《いたずら》をしたが、元豊を嫌うようなことはなかった。
小翠は布を刺して毬《まり》をこしらえて毬蹴《まりけり》をして遊んだ。小さな皮靴を着けて、その毬《まり》を数十歩の先に蹴っておいて、元豊をだまして奔《はし》っていって拾わした。元豊と婢はいつも汗を流して小翠のいうとおりになっていた。ある日、王がちょうどそこを通っていた。毬がぽんと音を立てて飛んで来て、いきなりその顔に中った。小翠と婢は一緒に逃げていった。元豊はまだ勢込んで奔っていってその毬を拾おうとした。王は怒って石を投げつけた。元豊はそこでつッぷして啼《な》きだした。
王はそのことを夫人に告げた。夫人は小翠の室へいって小翠を責めた。小翠はただ首を垂れて微笑しながら手で牀《こしかけ》の隅をむしりだした。夫人がいってしまうと小翠はもういたずらをはじめて、元豊の顔を脂《べに》と粉《おしろい》でくまどって鬼のようにした。夫人はそれを見て、ひどく怒って、小翠を呼びつけて口ぎたなく叱った。小翠は几《つくえ》に倚《よ》っかかりながら帯を弄《いじ》って、平気な顔をして懼れもしなければまた何もいわなかった。夫人はどうすることもで
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