内の樹木を無暗に斬りだした。源五右衛門は発狂したのであった。それがために扶持を召し放されて田宮家は断絶した。
田宮家がこうして断絶する一方、伊藤喜兵衛の家では喜兵衛が隠居して養子に名跡を継がしてあったが、その養子も隠居して新右衛門《しんえもん》と云うのに名跡を継がしたところで、二代目の喜兵衛は吉原《よしわら》へ通うようになり、そのうちに遊び仲間が殺された罪にまきぞえになって、牢屋に入れられた末に打ち首になったので、家はとり潰されて新右衛門父子は追放になった。そして、一代目の喜兵衛は乳母の小供の覚助《かくすけ》と云う者の世話になって露命を繋《つな》いでいたが、暮の二十八日になって死んでしまった。
また、秋山長右衛門の家では、女《むすめ》のおつね[#「おつね」に傍点]が食あたりのようになって歿くなり、続いて女房が歿くなった。その時田宮源五右衛門の家が断絶になったが、その田宮の上り邸はすぐ隣であったから、長右衛門に御預となった。
そのうちに長右衛門は組頭になった。御先手支配の浅野左兵衛《あさのさへえ》は長右衛門を呼んで、田宮の後をとり立てるように命じたので、長右衛門は総領の庄兵衛《しょうべえ》を跡目にした。すると己《じぶん》の跡目を相続するものがないので、御持筒組《おもちづつぐみ》同心の次男で小三郎《こさぶろう》と云う十三になる少年を養子にした。そして、庄兵衛が御番入りをして三年目になった時、庄兵衛は十人ばかりの朋輩といっしょに道を歩いていると、年のころ五十ばかりに見える恐ろしい顔をした女乞食《おんなこじき》がいた。庄兵衛といっしょに歩いていた近藤六郎兵衛はその乞食に眼を注《つ》けて、
「かの女非人は、田宮又左衛門の女《むすめ》に能く似ている」
と云った。すると他の者は、
「お岩は、あれよりも背も低かったし、御面相も、あれよりよっぽど悪かった」
と云った。庄兵衛は小さい時から種々の事を聞かされているので気味悪く思ったが、それから三日目の夕方になって病気になった。長右衛門は驚いて庄兵衛の家の跡目の心配をしていると、六日目の夕方から長右衛門自身が病気になって八日目に歿くなり、続いて庄兵衛が十日目になって歿くなったので田宮家は又断絶した。
小三郎は養父の二七日《ふたなぬか》の日になって法事をしたところで、翌朝六つ時分になって庖厨《かって》に火を焼《た》く者があった
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