のが十三、三番目の鉄之助《てつのすけ》と云うのが十一、四番目お菊《きく》と云うのが三つになった時、それは七月の十八日の夜であったが、伊右衛門初め一家の者が集まって涼んでいると、縁の端《さき》にお岩のような女が姿をあらわして、
「伊右衛門、伊右衛門、伊右衛門」
 と、三声続けて云いながら往ってしまった。伊右衛門は邪気を払うために、家の中で弾の入ってない鉄砲を鳴らした。すると四番目の女の子がその音に驚いて引きつけ、医師《いしゃ》にかけたが癒《なお》らないで八月の十五日に歿くなった。
 それから伊右衛門の家には怪異が起って、お染の許へ男が来るような気配があったり、夜眼を覚して見ると女房の傍に男が寝ていて消えたりしているうちに、某日の黄昏《たそがれ》三番目の男の子が家の後へ往ってみると、前年歿くなっている四番目の女の子がいて負ってくれと云った。男の子は怖れて逃げて来たが、それから病気になり、日蓮宗の僧侶に頼んで祈祷などもしてもらったけれども、とうとう癒らずにその年の九月十八日になって歿くなった。
 伊右衛門はますます恐れて|雑司ヶ谷《ぞうしがや》の鬼子母神《きしもじん》などへ参詣《さんけい》したが、怪異はどうしても鎮まらないで女房が病気になったところへ、四月八日、芝《しば》の増上寺《ぞうじょうじ》の涅槃会《ねはんえ》へ往っていた権八郎がその夜|霍乱《かくらん》のような病気になって翌日歿くなり続いて五月二十七日になって女房が歿くなった。伊右衛門はお染に源五右衛門《げんごえもん》と云うのを婿養子にしたところで、その年の六月二十八日、不意に暴風雨が起って雷が鳴り、東の方の庇《ひさし》を風に吹きとられた。伊右衛門はしかたなしに屋根へあがって応急の修繕をしようとしたが、足を踏み外して腰骨を打って動けなくなったうえに、耳の際を切った疵《きず》が腐って来て膿《うみ》が出るので、それに鼠《ねずみ》がついて初めは一二匹であったものが、次第に多くなって防ぐことができないので、長櫃《ながびつ》の中へ入れておくうちに七月十一日になって死んでしまった。
 田宮の家では源五右衛門が家督を相続したが、そのうちにお染が病気になった。年は二十五であったと記録にある。そのお染が歿くなってから源五右衛門は、家についている怪異が恐ろしいので、己《じぶん》の後へ養子をして別居しようと思っているうちに、邸《やしき》の
前へ 次へ
全9ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング