んは、五百貫の金が欲しさに、私を人身御供の女に売りました、酒宴もその神様にあげるものでございます」
「村の者は皆どうした」
「私をここへ置いてから、皆逃げて帰りました、どうぞ私を助けてくださいませ」
 元振は腰の剣に心を向けた。
「よし、助けてやろう、どんな神か知らないが、人身御供を求めるような神は邪神だ、助けられなかったら、いっしょに死のう」
「どうか、助けてくださいませ」
「その邪神は、いつくる」
「夜半比《よなかごろ》にくるということでございます」
「では、運を天にまかして、邪神を待とう、心配しないで、ここに待っていなさるがいい」
 元振は次の室へ往って料理の卓に向い、思うさまに喫《く》った後で、入口の室へ往って坐っていた。

 夜半近くなって元振は入口の戸を開けて外の方を見た。二三本の炬火《たいまつ》を点《つ》けて供を伴《つ》れた牛車が来た。元振は邪神が来たと思ったので室の中へ入って待っていた。入口に数多《たくさん》な跫音がして、扉《と》を開けて紫の衣服《きもの》を着た怪しい者が入ってきた。
「相公《しょうこう》がいらっしゃる」
 紫の衣服は外へ出て往った。引き違えて黄色な衣服を着た者が入ってきた。
「相公がいらっしゃる」
 黄色な衣服を着た者もそう言って出て往った。元振は相公と言えば大臣宰相だ、俺が将来《さき》で宰相にでもなるのかと思って喜んだ。元振の気が引きたってきた。
 扉がまた開いて十人ぐらいの者が入ってきた。冠を着けた逞しい者がその中に交っていた。元振はそれが邪神の烏将軍だろうと思った。邪神らしい者は元振を見た。
「相公は、何故、ここにいらっしゃいます」
「今晩は、目出度い婚礼の酒宴があるということを路で聞いたから来た」
 邪神は喜んだ。
「これはありがたい、では、席に着いて貰おう」
 邪神の一行が酒宴の席へ入ったので元振は後から随いて往った。邪神は自個《じぶん》の前へ元振を招《よ》んだ。元振は考えついたことがあった。元振は邪神に向って言った。
「貴郎は、鹿の脯《ほしにく》をおあがりになりますか」
「鹿の肉は好きだが、この辺は鹿があまりいないから、喫《た》べられない」
 元振は腰に付けていた糧食《べんとう》の鹿の脯を出した。
「これは、鹿の脯でございます」
 元振は剣を抜いてその脯を一きれ切って左の手でさしだした。邪神は喜んで片手を出した。脯を載せた元振の手は邪神の手首に纏《まつ》わり着いた。邪神は驚いて手を引こうとした。元振は剣を閃かして一刀の下に腕の付け根から切り落した。邪神は吼え叫んで逃げた。邪神に随いてきていた者も逃げてしまった。元振は邪神の手を持ったなりに剣を振り冠《かぶ》っていた。
 切り取った邪神の手は毛の荒い野猪《いのしし》の腕であった。

 朝、元振と女が話していると村の人が来た。村の人は女の死骸を収めにきたところであった。村の人は無事な女と元振を見て驚いた。その村の人の眼に野猪の片腕が見えた。
「村の鎮守様だ、神様の手を切るとは甚《ひど》いことをしたものだ、どんな祟りがあるかも知れん、叩き殺して神様にお詫びをする」
 村の人は口ぐちに怒りだした。
「人身御供をとるような神は邪神だ、天地に容《い》れられない大罪だ、その道理が判らないとは、なさけない奴等だ」
 村の人も元振の道理ある詞《ことば》に怒りを収めた。村の人は元振を先頭に立てて、血の滴を随けて二十里ばかりも往った。
 大きな塚穴があって前足の一方を切られた野猪が唸っていた。村の人は塚穴の口で火を焼《た》いて煙をその中へ入れた。野猪は苦しくなったのか外へ出てきた。待ち構えていた村の人はそれを仆《たお》した。

 元振は助けた女を伴れて出発した。その元振は後に唐の宰相となった。



底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年11月30日発行
入力:Hiroshi_O
校正:小林繁雄、門田裕志
2003年9月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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