へ往って傘を借りようとしているのであった。彼の眼の前にはさっきの女の姿が花のように映っていた。
 許宣は三橋巷《さんきょうこう》の親類へと往った。親類では夕飯の時刻だからと云って引留めようとしたが、許宣は家の外に幸福が待っているような気がして、家の内《なか》に置かれるのが厭《いや》だから、強いて傘ばかり借りて外へ出た。ぱっとさした傘に絡《から》まる軽い爽《さわや》かな雨の音。
 洋場頭《ようじょうとう》に往ったところで、聞き覚えのある優しい女の声がした。
「おや、あなた」
 許宣は左の方を揮《ふ》り向いた。そこの茶館の簷下にさっきの白娘子《はくじょうし》が独り雨を避けて立っていた。
「や、あなたでしたか、さっきは失礼しました」
「さきほどは有難うございました、どうも雨がひどいものですから、婢《じょちゅう》に傘を執りに往ってもらって待っているところでございます」
「そうですか、それは……、では、この傘を持っていらっしゃい、私はすぐそこですから、傘が無くっても宜いのです」
 許宣は己の手にした傘を女に渡そうとしたが、女は手を出さなかった。
「有難うございますが、それではあんまりでございます
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