のある所まで伴れて往ってくれた。翁は当麻《たぎま》の酒人《きびと》と云う神奴《かんぬし》の一人であった。翁は豊雄に向って、「邪神は年経《としへ》たる蛇《おろち》なり、かれが性《さが》は婬《みだら》なる物にて、牛と孳《つる》みては麟《りん》を生み、馬とあいては竜馬《りゅうめ》を生むといえり、この魅《まど》わせつるも、はた、そこの秀麗《かおよき》に奸《たわ》けたると見えたり」と云って誡《いまし》めた。
豊雄は夢のさめたようになって紀の国へ帰った。一家の者は豊雄がこんな目に逢うのも独りであるからだと云って、妻になる女を探していると、柴の里の庄司《しょうじ》の一人|女子《むすめ》で、大内《おおうち》の采女《うねめ》にあずかっていたのが婿を迎えることになり、媒氏《なこうど》をもって豊雄の家へ云って来た。豊雄の家でも喜んで約束をしたので、庄司の家では女子《むすめ》を都へ迎いにやった。その女子の名は富子《とみこ》、やがて富子が都から帰って来ると、豊雄はその家に迎えられたが、二日目の夜になって、豊雄はよきほどに酔って、「年来《としごろ》の大内住《うちずみ》に、辺鄙《いなか》の人は将《はた》うるさくまさん、かの御《おん》わたりにては、何の中将、宰相などいうに添いぶし給うらん、今更にくくこそおぼゆれ」などと云って戯《たわむ》れかかると、富子は顔をあげて「古き契《ちぎり》を忘れ給いて、かくことなる事なき人を時めかし給うこそ、こなたよりまして悪《にく》くなれ」と云ったが、その声は真女児の声であった。豊雄はわなわなとふるえた。「他人《あだしひと》のいうことをまことしくおぼして、強《あながち》に遠ざけ給わんには、恨み報《むく》いん、紀路《きじ》の山々さばかり高くとも、君が血をもて峰[#「峰」は底本では「蜂」]より谷に灌《そそ》ぎくださん」と怪しき声は云った。「吾君いかにむつかり給う、こうめでたき御契《おんちぎり》なるは」と云って屏風《びょうぶ》のうしろから出て来たのは彼《か》の少女であった。
翌日になって豊雄は閨房《ねや》から逃げ出して庄司に話した。庄司は熊野詣《くまのもうで》に年々来る鞍馬寺《くらまじ》の法師に頼んで怪しい物を捉《とら》えてもらうことにした。鞍馬法師は雄黄《ゆおう》を鎔《と》いて小瓶《こびん》に入れ、富子の閨房へ往ってみると、枯木のような角《つの》の生えた雪のように白い蛇が三尺あまりの口を開け、紅《くれない》の舌を吐いて室《へや》の中一ぱいになっていた。法師は驚いて気絶したがとうとう死んでしまった。
豊雄が往ってみると美しい富子となっていた。豊雄は己《じぶん》のために人に迷惑をかけてはすまないから、己は怪しいものの往くところに従《つ》いて往くと云った。庄司はそれをとめて、小松原《こまつばら》の道成寺《どうじょうじ》へ往って法海和尚《ほうかいおしょう》に頼んだ。法海和尚は「今は老朽ちて、験《しるし》あるべくもおぼえ侍《はべ》らねど、君が家の災《わざわい》を黙《もだ》してやあらん」と云って芥子《けし》の香《か》のしみた袈裟《けさ》を執《と》りだして、「畜《かれ》をやすくすかしよせて、これをもて頭《かしら》に打被《うちかず》け、力を出して押しふせ給え、手弱《たよわ》くあらばおそらくは逃去らん」と云った。庄司は喜んで帰って、その袈裟をそっと豊雄にわたした。豊雄は富子の閨房へ往って隙《すき》を見て、袈裟を被《き》せ、力をきわめて押しふせた。そこへ法海和尚の轎《かご》が来た。和尚は何か念じながら豊雄を退《の》かして袈裟を除《と》ってみると、そこには富子がぐったりとなっている上に三尺ばかりの白い蛇がとぐろをまいていた。和尚はそれを捉えて弟子が捧げている鉄鉢《てつばち》に入れた後《あと》で、又念じていると屏風の背《うしろ》から一尺ばかりの小蛇《こへび》が這いだして来た。和尚はそれも捉えて鉄鉢にいっしょに入れ、彼《か》の袈裟を上からかけて封をし、それを携えて帰りかけたので、豊雄はじめ一家の者は掌《て》をあわせ涙を流して見送った。そして、寺に帰った和尚は、本堂の前を深く掘らせて、彼《か》の鉄鉢を埋めさし、永劫《えいごう》が間《あいだ》世に出ることを戒《いまし》めたのであった。
この『蛇性の婬』の話は、上田秋成《うえだあきなり》の『雨月物語《うげつものがたり》』の中でも最も傑出したものとせられているが、しかし、これは秋成の創作でなしに支那《しな》の伝説の翻案である。支那の杭州《こうしゅう》にある西湖《せいこ》の伝説を集めた『西湖佳話《せいこかわ》』の中にある『雷峰怪蹟《らいほうかいせき》』がその原話である。雷峰とは西湖の湖畔にある塔の名で、呉越王妃《ごえつおうひ》黄氏《こうし》の建立したものであるが、『雷峰怪蹟』では奇怪な因縁から出来たものとせられて
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