せた。
「こいつは雄じゃ、彼処には雄と雌の二つおるから、そのうちに雌もとるつもりじゃ」などとも云った。

 その夜篠原の主人は、隣家の者を三四人呼んで酒を飲んでいた。そのうちには皮剥ぎを手伝ってもらった親類の男もいた。一座の話は蛇を打った話で持ちきっていた。
「何しろ、話には聞いておったが、見たことは初めてだ」
 と、一人が云うと、
「こりゃあ、孫子への話の種じゃよ」とまた一人が云った。
「そんなに大きくはないと思うて、往ってみると瀑壺に一ぱいになっておったから驚いたよ」と、云ったのは彼の親類の男であった。
 篠原の主人はにこにこして自己《おのれ》を嘆美する皆の話に耳をやっていた。
「やっぱりあんな魔物を打つには、此処な親爺じゃないと打てないよ」と、親類の男が云った。
「そうとも、此処な親爺は、どしょう骨がすわっておるからな」と、一人の男が云って篠原の主人の顔を見た。
「はははは」篠原の主人は盃を持ったなりに対手の男を見かえしたところで、眼の前に黒い閃きがするように思ったが、忽ち背後《うしろ》にひっくりかえった。
 もう酒どころではなかった。人びとは起ちあがって主人を介抱しようとした。主人は寄って来る人びとの手を払い除けて、
「あれ、あれ、あれ」と、云って室の中をのたうって廻った。
 人びとの顔には恐怖がのぼっていた。主人は仰向けになったり俯向けになったりして悶掻《もが》き苦しんだ。
「あれ、あれ、あれ、あれ」

 そして、やっと悶掻をやめた主人を寝床に入れた隣家の者は、家内の者に別れを告げて庭におりたが、主人の怪異を見て恐れているので何人《だれ》も蛇のことを口にする者はなかった。
 戸外《そと》は真黒《まっくら》で星の光さえなかった。皆黙々として寄り添うて歩いていたが、皆の眼は云いあわしたように庭前の竹にかけた蛇の皮の方へ往った。
 不意に庭の樹の枝に風の吹く音が聞えた。人びとは恐れて中には眼をつむる者もあった。風ははらはらと人びとの衣《きもの》の裾を吹きかえした。
 この時蛇の皮をかけてある処が急にうっすらと明るくなって、朧の月の光が射したように見えたが、やがて真紅な二条の蛇の舌のような炎がきらきらと光った。と、その光がめらめらと燃え拡がって、蛇の皮がはっきりと見える間もなく、それが全身火になってふうわりと空に浮び、雲のように飛んで篠原家の屋根に往った。人びとは
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