。妻ははずれかけた次の室との境の襖の引手に手をかけてそれに取りつこうとしたが、襖がはずれて取りつけなかった。が、その内に地の震いは小さくなって来た。私はその時客のいないことに気がついたが、地震の小さくなった間に、妻や子供を外へ出さなくてはならないという考えの方へ気を取られて、それ以上客のことを考えることができなかった。その客は私のいない間に簷《のき》から飛んで右の足首をくじいていた。私は妻をうながして自分で末の児を抱き、妻に姉の児の手を曳かして、おりて玄関口へと往ったが、妻や子供を先に出して自分が後から出ないと危険があるような気がしたので、妻に末の児を負ぶわし姉の児の手を曳かして先へ出し、自分は後から出て往った。
私の家の門の出口の左角になった古い木造のシナ人の下宿は、隣の米屋や靴屋の住んでいる一棟が潰れて押されたために門の内へ倒れかかっていた。地の震えは後から後からとやって来た。私は妻と子供をすぐ近くの寄宿舎の庭へと伴れて往った。そこは奈良県の寄宿舎であった。私はそれから足に怪我をしている客を負ぶって伴れて来たが、後の激震が気がかりであるから、地震の静まるまでそこにいることに定めて、家へ入って往って筵《むしろ》を持って来た。付近の者も続続と避難して来た。私はまた煙草を買い蝋燭を買って来た。酒屋へサイダーを取りに往った時、潰れた家の簷を破っている者があるので、それに手を貸して瓦を剥いだ。その屋根の下からは若い女とその夫らしい頬髭の延びた黄いろな顔をした男とが出て来た。
私はその一方で藤坂をあがって、その近くに住んでいる友人の家へと往った。大塚行きの電車の線路に沿うた両側の家では、皆線路の上に避難していた。潰れた家は見えなかったが、どの家も屋根瓦がひどく落ちていた。友人の細君も避難者の中に交って筵の上に坐り、洋傘を日覆いにして、生れたばかりの嬰児を抱いていた。
大砲を撃つような音が時折聞えだした。火事だ火事だという声が人びとの口から漏れるようになった。牛込の下宿から私の家の安否を気使うて来てくれた若い友達は、砲兵工廠が焼けていると言った。私はその友達と一緒に電車通りを伝通院前へと往った。渦を捲いている人波の中には、蒲団などを蓋の上にまで乱雑に積みあげた箱車を数人の男女で押している者、台八車に箪笥や風呂敷包の類を積んでいる者、湯巻と襦袢の肌に嬰児を負ぶって小さな子
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