考城隍
蒲松齢
田中貢太郎訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)予《わたし》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)春|常《つね》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「壽/れっか」、第3水準1−87−65]
[#…]:返り点
(例)有[#レ]心無[#レ]心
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予《わたし》(聊斎志異の著者、蒲松齢)の姉の夫の祖父に宋公、諱を※[#「壽/れっか」、第3水準1−87−65]《とう》といった者があった。それは村の給費生であったが、ある日病気で寝ていると、役人が牒《つうちじょう》を持ち、額《ひたい》に白毛のある馬を牽《ひ》いて来て、
「どうか試験にいってくださるように。」
といった。宋公は、
「まだ試験の時期じゃない。何の試験をするのだ。」
といって承知しなかった。役人はそれには返事をせずに、ただどうかいってくれというので、しかたなしに病をおして馬に乗ってついていった。
その路《みち》はまだ一度も通ったことのない路であった。そして、ある城郭《まち》へいったが、そこは帝王のいる都のようであった。
しばらくして宋公は、唯《と》ある役所へいった。そこは壮麗な宮殿で、上に十人あまりの役人がいたが、何人ということは解らなかった。ただその中の関帝《かんてい》の関羽《かんう》だけは知ることができた。
簷《のき》の下に二組の几《つくえ》と腰掛を設けて、その一方の几には一人の秀才が腰をかけていた。そこで宋公もその一方の几にいって秀才と肩を並べて腰をかけた。几の上にはそれぞれ筆と紙とが置いてあった。
と、俄《にわか》に試験の題を書いた紙がひらひらと飛んで来た。見ると「一人二人、有[#レ]心無[#レ]心」という八字が書いてあった。そこで二人はそれぞれ、その題によって文章を作って殿上へさしだした。宋公の書いた文章の中には「心有りて善を為《な》す、善と雖《いえど》も賞せず。心無くして悪を為す、悪と雖も罰せず」という句があった。殿上にいた諸神はそれを見て褒《ほ》めあった。
そこで宋公は殿上に呼ばれて、
「河南《かなん》の方に城の隍《ほり》の神が欠けている。その方がこの職に適任であるから、赴任《ふにん》するがいい。」
という上諭《じょうゆ》があった。宋公はそこで自分は冥官《あのよのやくにん》に呼ばれているということを悟った。で、頭を地にすりつけて泣きながらいった。
「寵命《ちょうめい》を辱《かたじけの》うしたからには、どうして辞退いたしましょう。ただ私には七十になる老母があって、他に養う人がありません。どうか老母が天年を終るまで、お許しを願います。」
上の方にいた帝王の像《かたち》をした者がいった。
「それでは、老母の寿籍《じゅせき》を調べてみよ。」
そこで鬚《ひげ》の長い役人が帳薄を持って来て紙をめくって、
「人間世界の寿命がまだ九年あります。」
といった。そして、ちょっと言葉のきれた時、関帝がいった。
「それでは張生《ちょうせい》を代理にしておいて、九年の後に更代さすがよかろう。」
そこで宋公にいった。
「すぐ赴任さすことになっておるが、仁孝の心にめんじて、九年の時間をかそう。そのかわり、時間が来たならまた召《め》すから、そう心得よ。」
関帝は秀才を召して二、三勉励の言葉を用いた。終って宋公と秀才は下におりたが、秀才は宋公の手を握りながら、郊外まで送って来た。秀才は自分で長山《ちょうざん》の張という者であるといった。秀才はその時詩を作って贈別してくれた。その詩の中に、「花有り酒有り春|常《つね》に在り。月無し燈《ひ》無し夜|自《おのずか》ら明らか」の句があった。
宋公はすぐ馬に乗って、秀才と別れて帰って来た。そして自分の村に帰ったかと思うと、豁然《かつぜん》として夢が寤《さ》めたようになった。その時宋公は死んでから三日になっていた。母は棺の中の宋公の呻《うめ》き声を聞いて扶《たす》け出したが、半日してからやっと口が利《き》けるようになった。長山で聞いてみると張生という者があって彼《か》の日に死んでいた。
後九年して母が果して没《な》くなった。宋公は母の葬式をすまして体を洗って室《へや》へ入ったが、そのまま死んでしまった。宋公の妻の父の家が城内の西門の内にあったが、ある日宋公が国王の乗るような輿《こし》に乗り、たくさんの供《とも》を伴《つ》れて入って来て拝《おじぎ》をしていってしまった。家の者は驚き疑って、もう宋公が神になっているのを知らないから、走っていって郷《さと》の者に訊《き》いて呼びもどそうとしたが、もう影も形もなかった。宋公には自分で書いた小伝があったが、
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