ゃ、どうだな、鮭を獲ることをやめては」
 漁師は笑いだした。
「鮭を獲るのを気の毒じゃと云うてやめたら、こちとら夫婦《めおと》が餓死せにゃならん」
「それもそうじゃが、物の生命をとるのは殺生じゃ、決して好い報いは来ない」
「好い報いが来ないと云うても、親譲りの漁師じゃ、他にしようもないことじゃ」
「それもそうじゃが、せめてこの二三日でも、やめたらどうじゃ」
「二三日位ならやめても好いが、二三日魚を獲らなかったところで、その後で獲りゃあ同じことじゃないか」
「そうじゃない、この二三日の潮時に、多くの鮭は皆登るから、それでも罪業が軽くなるわけじゃ」
「お坊さんは、この二三日の潮時に、鮭の登ると云うことを、どうして知っているのじゃ」
「そんなことは、私《わし》には、ちゃんと判っている」
「それじゃ私《わし》の睨みも当っているのじゃ」と、漁師は喜んだが、旅僧の詞《ことば》も気にかからない事はない。
「だから二三日はやめるが好いだろう」
 漁師は黙っていた。旅僧はやっと蕎麦切を喫《く》いはじめた。
「殺生の報いは、恐ろしいものじゃろうか」と漁師は聞いた。
「恐ろしいとも、一家一門が畜生道に墜ちて
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