向けに寝ながら枕頭の左右に注意していた。
 そのうちに夜が刻々と更けて往った。母親も睡っているのか何の音もしなければ、老婆が平生《いつも》の癖の痰が咽喉にこびりつくような咳も聞えない。ただ庖厨の流槽《ながし》の方で鼠であろうことことと云う音が聞えるばかりであった。新一はその音を聞いていたが何時の間にかうとうととして来た。
 その新一の耳へ母親の何か独言を云ったような声が聞えた。新一はまた魔物が来たのではあるまいかと思って眼を開けた。そして、すこしも動かずに用心深くまず右の枕頭を注意した。と、その新一の眼に物の影のようなものが映った。新一ははっと思ったが、たしかに見とどけるまでは体を動かしてはならないと思ったので、じっとしたなりに再び其処を見なおした。鼠色をした犬のような獣の後のほうが見えて、それが長い尻尾を畳の上に垂らしていた。新一は夜着の下で短刀を引き抜くなりそれに向って投げつけた。
 唸りとも叫びとも判らない微な声がしたかと思うと、もう何も見えなくなって新一の投げた短刀が畳の上に光って見えた。新一は飛び起きてその短刀を拾って四辺《あたり》に注意した。それと同時に表座敷で吠えるように
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