邪魔するのは、彼方へお出でよ、ひとの寝間なんぞ覗きに来やがって」
 老婆は驚いてやろうとした手を引込めた。
「お母さん、だめだよ、そんな処に寝ていちゃ、風邪を引くよ」
 新一は叱るように云った。
「痴《ばか》、お黙り、余計なことを云うと承知しないよ」
 老婆は困ってしまった。どう云って伴れて往ったものだろうかと思っていると、お滝は急に起きあがって、どかどかと表座敷へ入って往った。二人はあっけに執られていたが、その挙動が心配であるから後から踉いて往った。と、お滝は寝床の中へもぐり込むなり頭から夜着を被《かぶ》ってしまった。
「何人も此処へ来ちゃいけない、彼方《あっち》へ往っておくれ、煩《うるさ》い」
 老婆と新一は困って其処に立っていたが、そのうちにお滝の寝呼吸《ねいき》が聞えだしたので、二人は奥の室へ帰って寝たが睡られなかった。わけて新一は怪しい母の挙動が心配になって来て朝まで睡れなかった。
 朝になってみると、お滝は平生《いつも》のようにおとなしく起きて、新一といっしょに朝飯を喫《く》ったがベつに変ったこともなかった。ただ新一がへんに思ったのは、何か物を見詰めているような光のある眼の色をしていることであった。新一は昨夜の母の挙動を口に出して云うことができなかった。
 飯が済むとお滝は表座敷へ入って往ったが、障子も襖もぴったり締めてしまって、外からはすこしも見えないようにして坐っていた。老婆と新一はいよいよ常事《ただごと》でないと思って心配しながら囁き合った。
「姨《おば》さん、お母《っか》さんはへんだね」
「そうでございますよ、どうもへんですよ、昨夜のことと云い、へんな男が襖を開けずに入って来たり、おかしいのですよ」
「何だろうね」
「どうも人間じゃないのですよ」
「なんだろう」
「そうねえ、しかし、たしかに人間じゃありませんよ、人間なら、襖を開けるなり、戸を開けるなりしますよ」
「お父《とっ》さんが早く帰ってくれると、好いなあ」
「そうでございますよ、旦那様さえ早く帰ってくださるなら、どうかなるのでしょうが」
「そうだ、お父さんが帰ってくれると、好いなあ」

       三

 その後で老婆はお滝の体の工合を聞こうと思って室《へや》の中へ入った。室の中ではお滝が肘枕をして仮睡《うたたね》をしていた。老婆は吃驚させないように小さな声で云った。
「もし、もし、お媽
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