「え」
興哥は防禦の顔を見た。防禦の眼は曇っていた。
「あんたと許嫁《いいなずけ》になっていた興娘《こうじょう》も、病気でなくなったのじゃ」
「え、興娘さんが」
驚きに見ひらいた興哥の眼が悲しそうになった。
「あんたには気のどくだが、しかたがないことじゃ、諦めておくれ、半年ほど患ってて、二ヶ月前に歿くなったのじゃ、あんたの処から許嫁の証に貰っていた鳳凰の釵《かんざし》は、あれは棺の中へ入れてやった。長い間あんたの方から便りがないものだから、妻《かない》は嫁入りの時期を失うから、他から婿を取ると言ったが、わしは、あんたのお父さんと約束があるから、それには耳を傾けなかった、あれもまた決して、他へ往こうとせずに、あんたのことを言い言い死んで往ったのじゃ、あれは十九じゃ」
防禦の声はかすれて聞えた。興哥はもう泣いていた。
「申しわけがありません、父なり私なりが、早く迎えにあがるはずでしたが、母が歿くなりましたので、その喪でも明けたらと思っておりますと、また父が歿くなりましたので、またまた喪に籠りまして、喪が明けるなり急いで参りましたが、申しわけがありません」
「いや、こうなるのも運命じゃ、しかし、あれは歿くなっても、わしはやっぱりあんたの婦翁《しゅうと》じゃ、いつまでも助けあって暮そう、それにあんたも、もうお父さんもお母さんもないから、わしの家にいるがいい」
「はい」
「では、あれの位牌に、あんたの帰ったことを知らしてやろう」
そこへ興娘の母親が出てきた。三人は打ち連れて興娘の位牌を置いてある室へ往って、その前で楮銭《ちょせん》を焚いたが、三人の眼には新しい涙が湧いていた。
興哥は防禦の家に止まることになり、自分の室にあてがわれた門の側の小斎へ入った。
そのうちに清明の節となった。防禦の家では女《むすめ》が新しく歿くなっているので、下男と興哥に留守をさして、皆で墓参に出かけて往った。
興哥はその日は軽い心地になって、庭の中を歩いたり、下男と話をしたりした。陽が入ってうっすらと暮れかけた時、彼は小斎の前の壁にもたれて立っていた。
二挺の肩輿《かご》が表門を入ってきた。興哥はあの後か前かに興娘の妹の慶娘《けいじょう》がいるだろうと思って、うっとりとしてそれを見送っていた。と、後ろの肩輿の窓から小さな光るものが落ちた。興哥はそこへ歩いて往った。黄金の釵《かんざ
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