「いや、もう、別におかまいもいたしませんが、お客さん方が、よく御贔屓にしてくださいます、さあ、お入りください、ちょうど、皆さんに御飯をあげてるところでございます」
中を見ると六七人の旅人が大きな卓へ向きあって酒を飲んでいた。皆の前に置いた皿からは温かそうな湯気がもやもやと立っていた。
「貴郎《あなた》も彼処《あすこ》へ腰をおかけなさい、食べる物とお酒をあげます」
婆さんは指で空いた牀《こしかけ》を教えた。
「私は下戸《げこ》だから、酒はいらない、食べる物をもらいたいが」
酒は一滴もいけない季和はそう言って断った。
「一杯位はよろしゅうございましょう」
「有難いが、私は一滴も飲めない」
「では、食物をあげましょうか」
婆さんは次の室《へや》へ入って往った。季和は卓の方へ往って皆に挨拶をしながら腰をかけた。酒に酔うてもういい気もちになっている者もあった。皆ちょっとの間季和の方へ注意を向けたが、すぐ忘れてしまったように隣同士で話をはじめる者もあれば、自個《じぶん》の陶酔《とうすい》の世界に帰って往く者もあった。
やがて婆さんが二個の皿へ盛った食物を持ってきた。季和はそれをもらって黙
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