義猴記
田中貢太郎

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)万暦《まんれき》年中

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)日々一|疋《ぴき》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1−88−54]《うず》めた
−−

 支那の万暦《まんれき》年中、毘陵《びりょう》に猿曳《さるひき》の乞児《こじき》があって、日々一|疋《ぴき》の猴《さる》を伴《つ》れて、街坊《まち》に往き、それに技をさして銭を貰っていたが、数年の後にその金が集まって五六両になった。その乞児は某《ある》日|知合《しりあい》の乞児といっしょに酒を飲んだが、酔って蓄えている金の事を誇り顔に話した。相手の乞児はそれを聞くと、急に悪心を起して酒の中へ毒を入れて飲ましたので、その乞児は死んでしまった。相手の乞児は猿曳の蓄えてあった金を奪い、その死骸を野外に運んで往って※[#「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1−88−54]《うず》めた。そのうえ、相手の乞児は猿曳の飼うていた猴も奪ってそれに技をやらそうとしたが、猴はその意に従わない。乞児は怒って鞭で打ったので、猴も渋しぶ技をやっていたが、隙を見て何処へか往ってしまった。
 その時|張廷栄《ちょうていえい》という、県尹《けんいん》[#「県尹」は底本では「懸尹」]が新たに任について、庁《ちょう》に升《のぼ》ったところで、一疋の猴が丹※[#「土へん+犀」、61−11]《たんち》の下へ来て、跪《ひざまず》いて号《さけ》んだ。張廷栄は不思議に思って、隷官《れいかん》に命じて猴の後をつけさした。猴は養済院のほうへ往って、その門前に集まっている乞児の間を往来して何者か探す容《ふう》であったが、やがて其処を離れて往くので、隷官もまたその後からついて往った。往く途で、猴は人家へ入って餅を貰ってきて、それを隷官に喫《く》わし、また往って大市橋のある処へ出たが、その橋の袂にいる乞児を見つけると、隷官を曳きとどめるようにして、突然その乞児の肩に跳《おど》りあがり、頬を打ち面《おもて》を抓《つま》みだした。隷官はその乞児に意味があるだろうと思って、すかさず執《とら》えて庁に帰った。張廷栄は再三これを鞫問《きくもん》した。それは猴の主人を毒殺した相手の乞児であった。そこで張廷栄は乞児の死骸を掘らして、それを棺に入れ、火をもって焚かしたが、その火の燃えあがった時、かの猿は隷官の前に頭をさげ、そして、不意に火の中に飛び込んで焚死《ふんし》してしまった。張廷栄は大いに感じて『義猴記《ぎこうき》』という文章を作って石に刻んだのであった。



底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年発行
※誤植を疑った箇所は底本の親本を参照して改めました。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
2005年11月23日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
全1ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング