人びとに聞いてみたが、何人《たれ》もお種を見かけたという者がなかった。母親は麦刈に往っている舅と長男に知らし、それからむこうの谷へ草除りに往っている父親にも知らして大騒ぎをはじめた。
 お種の変事を知ると附近の者も集まって来た。人びとはお種の母親から数日来のお種のそぶりを聞いて、精神に異状ができてふらふらと家を出たものだとかんがえる者もあれば、何人《たれ》かに誘拐せられて逃亡したものだと考えるものもあった。
 午後になって人びとは方面を別けて探すことになった。そして、そのうちの一組は佐川の町から松山街道に向い、一組は高知の城下に向い、一組は日浦坂を越えて戸波方面へ向った。
 日浦坂を越えようとした一組は、坂の上のほど落ちの傍まで往くと何人《たれ》云うとなしに云いだした。
「池を見よ」
「池でどんなことがあるかも判らん」
 人びとは道の下になった池の縁へ雑木の下を潜《くぐ》っておりて往った。足の下には腐った落葉がぬらぬらしていて足を奪られそうであった。雑木の中にはのりうつ木の花があった。
 青澄んだ池の水は山の窪地にひっそりと湛えていた。一行十余人の人びとは水草の生えた池の縁におりて彼方此方に眼をやった。
 そのうちに一行の一人が汀《みぎわ》の水草に流れかかっている櫛を見つけた。
「櫛がある、櫛がある」
 人びとはその男の指さす方に眼をやった。其処には水に落ちたばかりの黄楊《つげ》の櫛があった。
「なるほど櫛じゃ」
「何人《たれ》か見覚えはないか」
 すると壮《わか》い男の声が云った。
「それはたしかに、お種さんの挿しておった櫛じゃ」
 それは彼の猪作であった。
「猪作が云やまちがいない、遊びに往きよったから」
 暫時の間|何人《たれ》も口を開ける者がなかった。一行の眼は青澄んだ池の面に走った。
「どうしても他じゃない」
「どうしてあげる」
「鉤のようなものを入れるか」
「はやけりゃ助かるかも判らん」
「何人《たれ》か胆力《ひい》の強い者はないか、入ってもらいたいが」
 人びとは頭をあつめて評議をした。
「あしが入ってみよう」
 それは猪作であった。
「そうか入ってくれるか」
「そりゃいい」
 猪作は衣《きもの》を脱ぎ、脚袢を除って池の中へ入り、二足三足往ったが水はすぐ股近くになった。猪作はちょっとそこで立ちどまって空気を吸うてから、もんどりを打つようにして潜《くぐ》
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