ゃないか」
「何人《たれ》かにお聞きになりましたか」
「聞いたと云う理《わけ》でもないが、釜礁の事じゃろう」
「そうでございますよ」それから権兵衛を見て「旦那様はお聞きになっておりますか」
 権兵衛は頷《うなず》いた。
「今、総之丞から聞いたが、何か確乎《しっかり》した事を見た者でもあるか」
「乃公《おら》が見たと云う者はありませんが、妙な事を云いますよ」
「どんな事を云っておる」
「取りとめのない事でございますが、礁へ石鑿《いしのみ》を打ちこむと、血が出たとか、前日《まえのひ》に欠いであった処が、翌日《あくるひ》往くと、元の通りになっておったとか、何人《たれ》かが夜遅く酔《よっ》ぱらって、此の上を歩いておると、話声がするから、声のする方へ往ってみると、彼《あ》の礁の上に小坊主が五六人おって、何か理の解らん事を云っておるから、大声をすると河獺《かわうそ》が水の中へ入るように、ぴょんぴょんと飛びこんだとか、いろいろの事を云いまして」
「うむ」
「それに二三日、負傷《けが》をする者がありますから、猶更《なおさら》、此の礁は竜王様がおるとか、竜王様の惜《おし》みがかかっておるとか申しまして」
「そうか」
「それに、一昨日《おととい》も昨日も負傷《けが》はしましたが、石の破片《かけら》が眼に入ったとか、生爪を剥《は》がしたとか、鎚で手を打ったとか、大した事もございませざったが、今日はあんな事が出来ましたから、皆《みんな》が怕がって仕事が手につきません。私も傍におりましたが、二人で礁の頂上へあがって玄翁《げんのう》で破《わ》っておるうちに、どうした機《はずみ》かあれと云う間に、二人は玄翁を揮《ふ》り落すなり、転び落ちまして、あんな事になりましたが、銀六の方は、どうも生命《いのち》があぶのうございます」
「どうも可哀そうな事をしたが、あれには両親があるか」
「婆《ばんば》と女房と、子供が一人ございます」
「田畑《でんぱた》でもあるか」
「猫の額《ひたい》ぐらい菜園畑があるだけで、平生《いつも》は漁師をしておりますから」
「そうか、それは可哀そうじゃ、後《あと》が立ちゆくようにしてやらんといかんが、それはまあ後の事じゃ、とにかく本人の生命を取りとめてやらんといかん」
「そうでございます」
「それから、一方の手を折った方は、あれは生命に異状はなかろう」
「あれは、安田の柔術の先生に
前へ 次へ
全16ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング