が生えていた。其処は緩い傾斜になって夫其の登り詰《づめ》に松林があり普請役場の建物があった。其の役所の向前《むこう》は低い丘になって、其処に律照寺《りっしょうじ》と云う寺があったが、浜の方から其の寺は見えなかった。其の律照寺は四国巡礼二十五番の納経所《ふだしょ》で、室戸岬の丘陵の附根にある最御崎寺《ほずみさきじ》の末寺で、普通には津寺《つでら》の名で呼ばれていた。
権兵衛は役所の近くまで往った。其処に二疋の馬がいて傍に陣笠を冠った旅装束の武士が二人立ち、それと並んで権兵衛の下僚《したやく》の者が二三人いた。権兵衛は急いで陣笠の武士の傍へ往った。武士の一人は国老《かろう》の孕石小右衛門《はらみいしこえもん》であった。
「これは御家老様でございますか」
「おお、権兵衛か」
「承《うけたま》わりますれば、殿様がお成りあそばされたそうで、さぞお疲れの事と存じます」
「なに、急に御微行《ごびこう》になられる事になって、今朝城下を出発したが、かなりあるぞ」
「二十里でございますから、お疲れになられましたでございましょう、それで殿様は」
「東寺《ひがしでら》へずっとお成りになった」
東寺は最御崎寺の事で、其処は四国巡礼二十四番の納経所になり、僧|空海《くうかい》が少壮の時、参禅|修法《すほう》した処であった。
「それでは、私もこれからお御機嫌を伺いにあがります」
「今日は来いでもええ、明日此処へお成りになる事になっておる」
「さようでございますか、それでは、今日はさし控えておりましょうか」
「それがええ」それから物を嘲《あざけ》るような眼つきをして、港の方へ頤《あご》をやって、「権兵衛、池が掘れかけたようじゃが、彼処《あすこ》へ鯉《こい》を飼うか、鮒《ふな》を飼うか」
それは無用の港を開設するのを嘲っているようでもあれば、工事の遅延して港にならないのを嘲っているようでもあった。小右衛門は同行の武士を見た。それは大島政平《おおしままさへい》と云うお馬廻《うままわり》であった。
「政平、どうじゃ」
政平は莞《にっ》とした。
「なるほど」
「それとも、万劫魚《まんごのうお》でも飼うか」権兵衛の方をちらと見て、「今に大雨が降りゃ良え池ができる」
権兵衛は小右衛門の詞《ことば》の意《いみ》がはっきり判った。権兵衛はじっと考え込んだ。小右衛門と政平の二人は、すぐ馬の傍へ往って馬に乗
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